自動的にお金がザクザク
緊急地震速報のサイレンの音が怖い。地震の...
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イチマンキュウヒャクゴジュウナナンブンノイチ
2024年10月7日
昨夜の残りもの朝ごはん。夕飯のお茶碗に入った栗ごはんの方が映えはいいが、なるべくその日の一枚を載せたいし、これぞ日常。栗ごはんはおにぎりにしても美味しかった♡
昨日の初農園での栗拾いはやはりそこら辺の公園とは違い、立派な栗がゴロゴロあってすごい楽しかった。
指定された10時半ギリギリに現地に着くと、既にすごい人が集まっててビビった。大半は子連れのファミリーで、未就学児や低学年の息子より小さな子が多かった。そう言えばウチも、ぶどう狩りとかいちご狩りとか一通りやってきたなぁと思い返す。
ところで、親はどうして幼い子に食べ物を収穫させたがるのだろうか? と考えてから、ふと、みんながみんなそうじゃないのかもと思った。我が子が可愛い気持ちはみんな一緒で、それを基に親が経験させたいとか一緒に楽しみたいってことを家族のレジャーとして行うのだろう。
ウチの場合は外遊びと動物園とか水族館とか生き物系が多くて、美術館とか博物館とかのアート系や、ゲームとかプログラミングとかのIT系?は少ない。ディズニーランドは1度だけ行ったけど、次は友達か彼女と来ておくれと思った。
小さい頃から意識して本物のアートに触れさせるとか、マイクラですごい物作れるようになったとかの話を聞くと、ヤバっと焦ったり、この偏りはいかがなものか?と思った時期もあったけど、いやいや全方位満遍なくなんて無理だし、それはどの土地で生まれたかとか兄弟いるいないと同じようにその子の運命的なものだと今は捉えている。
ひとりで行けたり出来るようになったら、興味あるけど連れて行ってもらえなかった場所や、やってみたかったことを思う存分に試せばいい。なにせ人生は長い。因みに息子は、駅までの途中にあるパチンコ屋さんがずっと気になっている様子。賑やかで楽しそうなのに中があんまり見えないのがそそるっぽい。
幼少期の体験は価値観の形成に少なからず影響するだろうと、親はそれぞれ良いと思うものを与えるけど、その子にとって本当に必要なものなど結局本人にしかわからず、反動で親が遠ざけて来たものに走ると言うのはよく聞く話。
ゲームを禁止されていた子が、大学生になって一人暮らしを機に朝から晩までやりまくるとか。いわゆる大人買いもその一種。息子は開店前のパチンコ屋さんに並んだりするんだろうか? ま、その時はその時だ。
栗拾いからパチンコ屋くらい、子どもの未来には幅があるのだ。楽しみだし羨ましい。よくわからない日記になった。笑