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    「無風地帯」ではなく「安全地帯」

    先日の運動会で6年生の徒競走やリレーがなかったことに物足りなさを感じていた。今朝ちょっと早く目覚めてベッドでネットサーフィンしてたら、タイムリーに気になる記事が目に留まった。

      “運動会で足の遅さを「見えない化」する配慮は子供のためにならない…「競争の場が減りすぎた」日本の大問題” (by PRESIDENT Online ) 以下いくつか記事を抜粋。

    ・足の速い子と遅い子を一緒に走らせると、大きな差がついてしまうので、事例のように足の速さが同じくらいの子ども同士で走らせる……というのは最近の運動会でよく見られる「配慮」です。こうした「配慮」をしておかないと、さまざまな意見が学校に寄せられるという話も耳にします。

    ・誰の目からも明らかな「差」を見せること、不快な感情を引き起こす「現実」に触れることが「可哀想だ」という意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、それは子どもを弱い存在と考えすぎです。子どもたちは確かな支えがあれば、自分の現実に向き合い、それを受け容れていく力を備えているのです。

    ・比較や競争の場を無数に提示すること、教科外の活動によって、通常の学校現場では見られない子どもの特徴が明らかになることもあります(やけにメモを取るのが上手な子ども、普段はおとなしいが音読に情緒を乗せるのが上手な子ども、さりげなく他の子をサポートするのが上手な子どもなど)。

    ・本当の意味で子どもの支えになるのは、大切な人と「ネガティブな自分」を共有し、それでも自分の存在を認められるという体験の積み重ねです。すなわち、大人が子どもに用意すべきなのは、比較や競争の存在しない「無風地帯」ではなく、比較や競争がどんな結果になろうとも自分は受け容れてもらえるという「安全地帯」なのです。

    ・「ネガティブなところのある自分」も含めて受容することを指して「自己受容」と呼ぶのです。本当に「自信のある人」というのは、「ポジティブな自分」を主張する人のことではなく、こうした「ネガティブな自分」も受け容れている人のことを指します。そして、「ネガティブな自分」も含めた自己受容ができる人に生じるマインドが、「人と比べる必要なんかない」「私は私なんだから」というものです。このマインドに到達するのは、多くの人が20代後半~30代にかけてだろうと思いますが、子どもたちがこれに近づけるような土台・環境を整えていくことが大切になります。

    ・「お母さん(お父さん)も、これが苦手だったなぁ」のように、親のできないこと、失敗したことを積極的に伝えて、「うまくできないところがあっても生きていける」という姿を見せてあげることが大切です。

    刺さり過ぎて、抜粋が随分長くなってしまった。

    子どもの頃は “あれもこれもできなくちゃ” と思っていて大変だった。けど大人になって持ち場持ち場を痛感し随分楽になった。誰しも得意不得意あるから、苦手は人にお任せして、得意を伸ばして楽しく生きようぜ!と今は心から思う。

    親が心底思っていることは子どもに伝わると信じている。特に母親のそれは威力がある。だって歩き方や口の動かし方など、教えなくとも子は母を模倣する生き物(嫌な所ほどコピられる)。

    「かーちゃん、跳び箱が全然飛べないよ」と言う息子に「気にするな、そんなん飛べなくても全然問題ないから」とマジで答えている。

    写真は今朝6時過ぎの朝焼け。明日から天気が冴えないようなので毛布を出して干すよ。さて、今日の三十年商店をオープンします!(かきぬまさんのマネ。あ、褒めてくれたのめっちゃ嬉しかったです。)

    書き手

    saico34

    saico34

    神奈川県藤沢市/48歳

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