奇行と生きている
兄が湯船に浸かっていたかと思ったら「あと...
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イチマンキュウヒャクゴジュウナナンブンノイチ
2025年1月17日
『三十年商店』を始めてから、明らかに “30年” に敏感になっている。
神戸の震災から今日で30年。当時わたしはまだ高校生で家族4人で団地に住んでいた。狭い2DKなのにテレビが2台あって、弟と子供部屋の小さな画面で高速道路が斜めになった映像を、起き抜けでぼーっと眺めていた記憶がある。関西は今よりずっと遠く感じたし、事の重大さが理解できていなかったのか恐怖心は全くなかった。
今朝のニュースで当時の映像が流れて、古いマンションが真横に倒れていたり、真ん中から崩れている様子にゾッとした。その後の3.11を経て、南海トラフや首都直下地震は時間の問題と言われていることもあるけれど、恐怖心の源はそれだけでは無さそう。
今思えば、親と住んでいて自分が子どもの立場だった時は、無意識に守られている安心感があったのかもしれない。独身時代や結婚してからも正直防災意識は全然薄かった。けれど、息子が生まれて守らなければいけないものが出来て、地震に限らず明らかに恐怖心が増した。
大人は楽しいから、彼にもその経験をさせてあげたいって気持ちがある。けれど恐怖心が強く湧くのは気持ちとかの次元ではなくもっと動物的な感じがする。わたしの意識とは関係なく、生物的に子孫繁栄の仕組みとして組み込まれているのだろうか?
でも息子が一緒に乗っていなくても、子どもの頃は楽しく乗れていた観覧車がめっちゃ怖い。想像力が増したから?? 歳を重ねて恐怖心が強くなるのはあるあるか? はたまたわたし個人の現象か?
写真は全然関係ない。毎年1月にマンションの専有部の配管清掃がある。今日はその日で指定された時間に在宅が必須。「お風呂のS事トラップに砂が溜まっています」とまた注意された。すいません…。気をつけてはいるのですが、なんせジャリジャリ星人がいるんでねー。