子どもの個性と後継者問題、それから1日のご飯
いつもより早く起きた娘と、娘が食べたいと言っていたタマゴサンドを作った。 ゆで卵の殻をむき、黄身と白身に分けて、それぞれ...
島縞
シマシマ
2025年7月29日
まだ3ヶ月過ぎたばかりの新参者ゆえ、1年以上書き続けられている方がいらっしゃることに驚愕!しつつも、こうしてこちらに参加させていただいているので、自分もそれが当たり前の日常になるよう、続けていきたいと思っております。
この場を作ってくださった、店主のおふたりに、改めてありがとうございます!
縁あって、ご一緒できた書き手の皆さま、ここで出会うすべての皆様、今後ともよろしくお願いいたします!
こんな日にこんな写真ですみませんけれども、イヤホンの先が行方不明で、今晩は私の耳に不安定に差し込まれた。
このイヤホンを使って、兵庫の友人と夜のおしゃべり会開催。
3時間、ひたすら話した。近況報告だったり、気になる話題についてだったり。おうちにいながらそれが叶ってしまう。パソコンは私にとってのドラえもんだ。
この頃の私の落ち込みについて、ものすごい気づきをもらった。
同じ事柄を、悲しい出来事とするのか、学びの機会とするのか、全ては自分次第ということ。
断ったり、やらない決断が出来ないものだから、体の不調が現れたり苦手なのだと自分に言い訳して避けることもある。
ただ、出来ないと思っていることも、よくよく考えると過去に経験していたりもして。そこに気づいてしまうと、もう言い逃れは出来なくなる。
人の言動に負の感情を抱くのにも、実は自分の中にそれらへの望みがあったりするのだという。
嫌悪ではなく、実は私がそうしたいと思っていることだったりするなんて、人間はなんと面倒で愛おしい生き物なのだろう。
日中、空いた時間をつなぎ合わせて観た「35年目のラブレター」。
こんなしあわせな未来もあるのだと、そんなあたたかさを、夫婦のやりとりから疑似体験させてもらえた。
それでも、人間というものはやっぱりどうして。この先があると希望してしまうことに無念と、それでもそれを切望してしまうどうしようもなさに胸がギュッとなった。そうであったとしても、また希望を見つけて前を向ける力強さに力をもらう。
原田知世さんも、鶴瓶さんも、大好きな役者さんのおひとり。
ぐっさん(さんを重ねるのは書きづらいので、そのままの読みで失礼します)、なんと共通項があるなんてなんだか嬉しいです。
古賀及子さんの本は読んだことがなかったので、早速図書館で予約してみました。