「今回、「幻の一九七九年論」たるこの評論集を構成するに当たって、あえて、その若書きの評論を、評論集の折り返し部分に置いてみた。単に現在から一九七九年を振り返るのではなく、一九七九年から未来への視点も交差させることで、一つの遠近感が得られるのではないかと思って。」坪内祐三
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
エフェメラ!
エフェメラ!
2025年8月20日
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。
「自分の人生って何だったんだろうと振り返った時、いつも誰かの母、誰かの妻でしかないのでは、と感じてきましたが、私もなかなか素敵な人なんだなと思えるようになりました。」
チャン・ヒジャ(『私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない 韓国、女性たちの労働生活史』より)
最近、読んでいる『私たちに名刺がないだけで仕事してこなかったわけじゃない 韓国、女性たちの労働生活史』という本にでてくる、ある女性のことばだ。
この本は、激動の韓国社会を支えてきた50~70代の女性たちへのインタビューをまとめたもの。韓国では結婚後に家事をする主婦のことを「家の人」と呼んでいたそう。(この言葉は2008年に差別用語に指定された、とある。)この言葉があらわすように、透明に、まるで存在しないかのように、可視化されてこなかった人たちの話す言葉はどれもずしんと重みをもってやってくる。
この本を読みながら考えるのはやはり自分の母や死んでしまった祖母のこと。どういう思いでいたんだろうと考える。つい先日、母からきたLINEには「趣味もなく年老いて行くのが不安です」と書かれていた。考え方も性格もまるっきり違う母。まだ生きているんだから、母のこれまでの人生についてインタビューしてみるのも良いのかもな。(020)
エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...