「厚かましくてごめんね」書店の常連さん
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...

エフェメラ!
エフェメラ!
2025年8月8日
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。
「階級は特権です。豊かな暮らしを。」
映画『私たちが光と想うすべて』内の看板より

わたしにとって、映画はいつだって急に思いたって観に行くもので、偶然性を含んだものであってほしいという気持ちがある。
今日観たのは、インド作品として初のカンヌ国際映画祭グランプリを受賞した『私たちが光と想うすべて』。インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚アヌ、そして2人が働く病院の食堂に勤めるパルヴァティの3人の女性を中心に物語が進んでいく。
今日のエフェメラなことばは、映画のなかにでてくる看板から。
高層ビル建築のために立ち退きを迫られているパルヴァティとなんとか助けようと親身になるプラバが、「階級は特権です。豊かな暮らしを。」と書かれている看板に向かって石を投げつけるというワンシーン。
映画のなかで描かれている(とわたしが思った)のは、カースト制が根づいているインド社会で抑圧されている女性たちの姿。そして、その女性たちが自分たちの生き方を模索し、変えようとする姿だ。
ムンバイのような大都市であっても、女性たちが精神的な自立をするのは難しい。とくに、結婚に関しては顕著だ。そこにはカースト制度がつきまとい、だれと結婚するのかを家族が決めてしまう…。それでもこの3人の女性は自らの意思で自分たちの未来を見つけ出そうとする、その目の光にぐっときてしまった。
ぐだぐだと映画で描かれているインドの背景を書いてしまったが、この映画の良さは、その映像美と音楽(どシンプル!笑)。たまらないほど情緒たっぷりにうつしだされたムンバイと、そこで暮らすひとびと。それだけで十分にドラマティックな映画だ。大勢のひとたちが行き交う電車のホーム。真っ暗な部屋のなか、スマホのライトの灯りだけで詩をよむ姿。炊飯器をかかえて孤独にたえる夜。どのシーンにもさまざまな光があった。
タイトルの光は“可能性”と監督が言うように、この映画はたくさんの可能性と選択肢をみせてくれた。(008)

エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。