オニユリついに咲く
庭のオニユリがついに咲いた。 ちょっと感慨深い。 オニユリは葉山に来て身近になった花だ。夏になると、庭先や道端のあちこち...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年1月22日
長男滞在で7人状態だったのが、彼が鹿児島に帰り、長女がインターンに行き、二人減少。「ちょっとさびしいね」と妻が言っていた。5人いれば十分多いと思うが、気持ちは分かる。我が家、長年、常時エマージェンシー状態なので、余裕ができたり落ち着くと、少しさびしさのような落ち着かなさを感じる部分がある。もちろん異常だ。(笑)
妻がネットフリックスでHotSpotというドラマを2回分、次男と見ていたので、私も見た。面白かった!日常の中に紛れ込んだ異常を笑いのネタにするような話。あー、脚本バカリズム、という感じ。ホテルで働く同僚宇宙人、これからどういう展開になるのだろう?楽しめそう。
妻が先日、FBにアップしていた写真。こういうことしてると仕事が進まないんだよな、と思いつつ、破壊力が強いのでつい見てしまう。何の事情で撮ったのか定かじゃないけど、靴を履かせた写真を撮りたかったのか?背景の台所があまりグチャグチャで子どもにタオルケットで隠させている。(笑)
この頃ももちろん大変で妻の記憶も飛んでるくらいなんだけど、子育ての難しさや辛さに苦労した記憶が強く刻まれているのは、やっぱり最初の一人目、長女が生まれた時だ。
産んだ立場でないので偉そうなことは言えないけど、かきぬまさんとレシーヘンさんの日記を見て少しあの頃のことを思い出した。
長女はよく泣いて、夜なかなか寝ない赤ちゃんだった。
いや、多分それは親の私たちに、家の中で泣き続ける小さい生き物に対するストレス耐性がなくて、そう感じたのであって、彼女が特別そういう赤ちゃんだったわけでない気がする。いつ頃だったのだろう?まだハイハイしてない頃、2〜3ヶ月くらいだったのか?毎晩、私が仕事から帰ると妻が絶望的な目をして「寝ない・・・」と娘を抱っこしていた。車に乗せれば寝る、抱っこして歩けば寝る、というようなライフハックはある程度会得していたけど、すでに妻のエネルギーは切れているので、そこから私が抱っこ紐で娘を抱いて、当時住んでいた広島安佐南区の暗い夜道を毎晩歩いていた。雨が降れば傘をさして。外を歩けば泣き止むし、30分もすれば寝るのだけど、私だって仕事で帰ってからなのでヘトヘトだ。寝た娘が起きないように布団に置いて静かに抱っこ紐を外すのも、緊張の一瞬だった。毎日毎日その繰り返しで、「この苦労が無限に続くのか?」と絶望的な気持ちになっていた。実際にはそういう無限地獄は経験的に数週間くらいか。子どもの成長は早いので、同じ無限地獄の継続はそのくらいで、また次のフェイズの無限地獄がやってくる。しかし当時そんなことは分からないので、絶望的な気分だった。
ただ人間の慣れというものはある意味恐ろしいもので、私も妻も3人目、次男が生まれた時は、もはや乳児の泣き声など、まったく気にならない人間になっていた。「小さい赤ちゃんの泣き声ってかわいいね」、「泣くのも運動だし、15分くらい頑張れるかな?」、「あー10分で疲れて寝ちゃった。お疲れ」とか言いながら、平気で自分たちの食事を続けてた記憶がある。
でも一人目は本当に大変だった。ただでさえ赤ちゃんが大変なのにさらに親とか。(笑)
「奥さんが大変だろうから、しばらく手伝いに行ってあげる」とやたら言ってくる母。(爆)混ぜるな危険、という案件なので、きっぱり断るのだが、初孫、そして自分が産めなかった女の子、ということで浮かれている母には手を焼いた。百日はどうする?大きい雛人形を送りたい、正月はいつ帰ってくるのか?
決めてない、置く場所ないから送ってくるな!口を出すんじゃない!と、母から家を守るのには本当に苦労した。私はマザコン指数ゼロの息子なので妻に「おふくろも悪気はないんだからさ〜」とか言ったことは一度もない。(おふくろという言葉も私の辞書にはないな。日本語か?)でも一筋縄で行かないのは、妻には妻で、嫁の忖度、というものがあることだ。あまり私が邪険にし過ぎると「妻にそう言わされていると思われるかもしれないから、やり過ぎないで」というやつだ。孫にお祝いをくれたり可愛がってくれるのはもちろんありがたいから、良好な関係は保ちたい。嫁が母を嫌がっている、みたいな印象を持たれたくない、という気持ち。それは分かる。気の利かない嫁、とか陰口も言われたくないので、両親の誕生日とか父の日、母の日には必ず何か送るなどのこともしてきた。毎回、その手間は私たちの喧嘩の火種だったが。年に4回は多過ぎるので、父の日、母の日は法律で禁止してほしい。(笑)
顛末を書いておくと、結局、産後それほど経っていない頃に母に広島に手伝いに来てもらうことになった。日中私がいない家に妻と母と赤ちゃん。もちろん結果は惨憺たるものとなった。いま考えれば、産後間もない妻に冷静な判断力もなかったはずで、体を張っても止めておけばよかったと思う。
まあでも結局、そういう苦い学習を重ねて、冷酷に成長をしていくしかないのだけど。あの頃からかなり遠くまで来たと思うけど、当時の記憶をここに記録しておく。
神奈川県葉山町/57歳