ウミアイサ飛来
在宅勤務開始前にランニングしていると、海上にウミアイサの群れ。この冬、葉山では初めての目撃。会議や打合せは午後しか入って...
風早草子
カザハヤソウシ
2024年12月17日
月一の母通院付き添い日。湾岸を走って東京へ向かう。
関東の冬らしい澄み切った空。何日くらいこんな天気が続いているだろう?関東の冬は最高だ。広島の冬は寒かった。山陽だから関東と似たようなものだろう、と行く前は思っていたが、全然違った。中国山地はそれほど高い山がないので山陰から来る雪雲を完全にブロックしてくれない。流れ込む雪雲が冬もしばしば雨を降らす。晴れの日も空にはいつも雲があって陽がよく陰り寒い。寒い中、子どもたちを公園に連れて行っても、昨日の雨で滑り台は濡れていて遊具では遊べない、という日ばかりだった。寒い季節も一日中陽射しが降り注ぎ、遊具は乾いていて落ち葉もカラカラ、という関東の冬の公園は幼児連れにとって天国だと思う。
東京に向かいながら、母のことをあまり考えたくないためか、このドライブ、いつも過去を振り返る思索の走行になりがち。
今日はランダム再生のiPadが山崎まさよしを2曲も再生してきた。セロリとか入っていたアルバムCDを一枚だけ昔、買った。車でよくかけていたこともあり、当時付き合っていた彼女のことを少し思い出す。甘くてほろ苦い記憶だが、こういう話って、家族に話すことはないだろうし、需要のないエピソードだなと思う。
若い頃は、飲み屋で上司の若き日の恋愛話とか武勇伝をよく聞かされた。あの頃は、デスクの愚痴を聞き、ストレス発散を助けるのは部下の仕事だと割と本気で思っていた。「俺は若い頃、フミヤに似てるって言われてたんだよ!」と語る札幌時代のデスクは楽しそうだった。彼の十八番は、別れ渋る女と別れるために走る車から飛び降りた、という話。何度も聞いた記憶があるので我々もよほど多く付き合ったのだろう。二軒目くらいで「あいつら全員並べてマシンガンでダダダっと・・・」と他部署デスク達への恨み言がリピートし始めたら、ヘベレケになった彼をタクシーに押し込んで強制送還するのがお約束で、その後残った若手で顔を見合わせ、口直しにもう一軒か?となるわけだ。
ああいうのが、自分の成長に役立っているとはあまり思えないが、平成一桁時代、そんな感じだった。飲み屋に付き合って話を聞いてくれる我々は、上司にとっていい部下だっただろう。今なら若手から総スカンだと思うが。そもそも妻帯者なのにあれほど飲み歩いていたのはなぜだろう?家はどうなっていたのだろう?少なくとも今の私には無理だ。若い頃、たっぷり上司の武勇伝は聞いたが、語る側にはなる気がしない。時代の変化だ。
というわけで、山崎まさよしに呼び起こされた私の昔の恋バナとか小さな武勇伝は、おそらくこの先、誰に語ることなく消えていく定めだ。(笑)
そういえば、新海誠監督の「秒速5センチメートル」主題歌も山崎まさよしのこのアルバムの曲だった。恋愛の鬱とかモヤモヤを呼び覚ます力があるのかも。
どーでもいいこんな思索を日記に記録する意味は分からないが、2024年という時代の気分ということで。
予約してあった実家マンションの来客者用駐車場に車を入れる。母の様子は相変わらず。冷蔵庫の中を確認。おかずとご飯がセットの冷凍食品はやはりあまり好きではないらしい。ヘルパーさんが送ってくれていた冷凍庫の写真から、冷凍ドリアはよく食べていることが分かっていたので、朝、オーケーに寄って冷凍ドリアを調達してあった。それを冷蔵庫に追加。
届いている手紙類を確認。先月行った証券会社の解約手続きが無事完了していた。これでひと安心。
今日の重要ミッションはコロナワクチンの接種。グループホームなどに入居する場合、予防接種を受けていることが条件になるらしい。先月インフルを打ったので、今回はコロナ。区から届いている接種券と問診票を手紙の束から探して見つける。クリニックに持参したところ、予約なしで打ってもらえた。今回から薬局で薬をもらう際にマイナンバーカードが必要になった。顔認証の機械が設置されていた。母を機械の前に立たせて認証を受ける。無事認証できた。これからはこうなるらしい。マイナ保険証とやらを取った方が良いのだろうか?
来年の手帳を買いたいとか、私の従兄弟から届いたお歳暮の返礼品を送りたいとか、諸々の用事を付き合って片付ける。手帳にしてもギフトにしても、判断力が落ちているので、結局自分で選べない。放っておくと永遠に決められない。お歳暮の返礼なんてもうこの歳なんだし、しなくても良いのでは?と思うが、そういう体裁を気にする部分だけは変わらない。
毎回、何とか苛立ちを抑えているのだが、今回はつい、大きな声を出してしまった。運転中に後ろの席から、スマホの操作がうまくできないから見てくれ、みたいなことをしつこく言われ、「運転中だから今は無理に決まってるだろ!」というようなことを怒鳴ってしまった。私が感情的に怒鳴る人間は、この世で母親ひとりだけだ。独り立ちしてから、可能な限り距離を取って回避してきたが、父の介護問題が深刻化した7〜8年前から、距離を取れなくなり、ぶつからざるを得なくなった。父の介護をめぐっては、こちらが大声を出した回数の何倍も私と兄が理不尽で感情的な母の罵倒を浴びてきた。だが、父が亡くなり、母も衰え、今の彼女にはもう私たちを罵倒する力はない。故にこちらが怒鳴りつけると弱いものいじめみたいな感じになって気分も悪いのだが、積年の母への苛立ちから、時に感情を抑えるのが難しい。
処方された薬を訪看さんに引き継いだりして、引き上げる。帰り道、美しい夕景が目に沁みる。
仕事が終わった妻をピックアップして家に帰ると、妻の指示を受けていた双子が二人で野菜を切ったり、肉を買ってきたりして、夕食のカレーを作っていた。我が家は平和だ。
神奈川県葉山町/57歳