10月は3勝0敗!
昨日久しぶりに渋谷に出勤したら、心身の疲れがあまり抜けていないことを自覚。しばらく省力モードで行くことに決める。やはり神...
風早草子
カザハヤソウシ
2024年11月18日
東京新聞日曜版の特集がプレーパーク。我が家は結構縁が深い。
広島で長女が生まれ、その後東京に戻った時に割り当てられた社宅が渋谷区広尾だった。バリバリのセレブ地域で、社宅の人が通わせている近くの幼稚園のお友達の誕生会に招かれたら、会場が六本木ヒルズだった、みたいな話を聞いた。そういうところは、我が家には合わないな、と言っている中、妻が見つけてきたのが「原宿おひさまの会」なる自主保育グループ?だった。
子どもたちを毎日外で好きに遊ばせる、それを当番の親が見守る。文字にするとすごくシンプルだが、実際に保護者が話し合いで運営していくのはとても手間がかかることだったと思う。しかし我が家はそれを選択し、妻はそこで出会う人たちを中心に東京での交友関係を構築していった。その活動の日々の主な現場が代々木公園だったので、そのすぐ近くにあった渋谷区のプレーパーク「はるのおがわプレーパーク」(通称はるプレ)でもよく活動していて、うちの子どもたちもはるプレで、焚き火や泥遊び、工具を使って何か作る、みたいなことをよくやっていた。
我が家が広尾の社宅に住んでいたのは5年間だったが、ヒルズの誕生会はちょっと・・・と、いうことで選んだ選択肢によって、泥まみれ、落ち葉まみれの都会生活となった。それは自分的にはとても良かったと思っているし、その後の我が家の方向性に大きな影響を及ぼした。妻の今に至る活動や仕事もかなりこの時からの延長線にあるように思う。
ちなみにこの特集記事で解説してるのは、当時はるプレでプレーリーダーをしていた人だ。娘は記事を見て「どっくん、じゃん!」と言っていた。そうどっくんだ。
彼は、その後、NPOを作ってプレーパーク普及に携わる活動を始めて現在に至る。ちなみに当時、うちの子どもたちのおひさまの会に保育協力者として、サポートに入っていてくれた若い女性も元ははるプレのプレーリーダーで、その後結婚して岡山に移り住んだ先で、新たなプレーパークの運営に携わっている。
あの頃の種が、色々な場所で芽吹いているような気がする。
そういえば、我が家が葉山に住むことになったのも、おひさまの会繋がりの縁で誘われたのがきっかけだ。影響大きいな。笑
神奈川県葉山町/57歳