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    風早草子

    風早草子
    カザハヤソウシ

    眼科は忍耐

    金曜日は病院デーだった。

    CPAPの渋谷の病院から帰ると、次は双子2号君を連れて地元の眼科へ。

    実は彼は小3の秋から6年生の終わりまで、大学病院の眼科に通院していた。

    片目に充血があり、地元のクリニックで診てもらってがなかなか良くならず、横浜市大病院を紹介されて、そこで「ぶどう膜炎」と診断された。病名と言うよりも視神経に炎症が起きている症状を指すものらしい。ベーチェット病やクローン病などが原因のこともあるらしいが、様々な検査を受けて、双子2号君はそれには該当しなかった。医師に話によると、半分以上の患者は「原因不明」だということだった。

    そのあとは、定期的に通院して炎症の状況を確認しながら、目薬、注射をしてその効果を見て行く対症療法みたいな感じ。だが、このぶどう膜炎の外来は木曜日しか診療がなく、毎回患者が殺到して、予約してあっても診察までその時間をはるかに超えて待たされた。

    毎回15時30分の予約だったが、1時間待って視力検査、さらに1時間待って医師の診察、さらに30分待って注射みたいな感じ。その時間になると、もう患者が残っているのは眼科だけ。病院の会計コーナーも閉まっており、会計は救急外来の受付で行う。そして病院周辺の処方箋薬局は閉店しているため、薬は翌日職場周辺の薬局にもらいに行かねばならない。

    一回行くだけでも大変なのだが、何せ原因不明の炎症なので、医師からは「治らない患者も多いので、長い通院を覚悟して」と言われていた。一卵性の双子なのに一人だけの発症、病気というのは理不尽なものだ。

    それでも病院に通い続けるほかないため、自分と妻、そして上の子たちの力も借りて、大学病院に通い続けた。そのうち、目薬よりステロイド系の薬の注射がうちの子には効果的なことが見えてきたため、月に2回注射を打つことになっていった。医師の診察は月一回なので、注射だけの日も毎月あり、5年生になった頃から、一人で通わせた。小学校を早めに出て、バス、京急、横浜シーサイドラインを乗り継いで病院。やや心配だったが、何とか一人で通ってくれた。健気に一人で通ってくるので病院のスタッフにも可愛がられていたようだ。

    そんな苦労が幸い報われて、「一生付き合う覚悟を」と言われていた炎症は治り、大学病院の通院は3年半ほどで終わった。

    長い長い眼科の診察待ちの時間、病院の待合室の椅子に座っているだけではあるが、コロナ禍でマスクを外せない期間が続いた中、付き添う親もなかなかキツかった。まあでも一番大変だったのは本人だ。注射担当は毎回若い研修医さんみたいな人で、失敗も多く何度も注射針を刺し直されて悶絶したりしていた。病院に行くと買ってもらえるコロコロコミックと、ローソンのLチキくらいを楽しみに頑張っていた。

    で、この大学病院が終わった時に、地元のクリニックに紹介状が出ており、半年に一度くらい通って経過の確認を、と言われていた。しかしそれが1年以上放置してあったので、ここらで一回行っておこう、ということになったわけである。

    地元の眼科、甘くみていたが盆休み前で大混雑。

    15時に行って終わったのは17時半。久しぶりに長時間の待合室を味わってしまった。まあ経過は全く問題なしだったので、それは良しと。

    それにしてもこの夏休み、(月)母通院付き添い東京、(火)(水)双子高校説明会(木)車ディーラー予約(金)自分の病院と子どもの病院、というスケジュール。バカンス感ゼロなのはどうなんだろう?(笑)

    金曜日は鹿児島から長男が帰ってきたが、食事中に緊急地震速報。長男は前日に鹿児島でも携帯がなったということ。

    久しぶりに家族7人揃っての夕食だったが、食べたのは、双子1号君が夏休みの宿題で作った青椒肉絲。(笑)いや普通においしかったです。

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/57歳

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