出張ランニング@秋田
改めて、今後の仕事の進め方の難しさを認識した秋田の仕事。現地の担当者が去年まで同じ部署で仕事をしていた秋田出身者で、昨夜...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年9月2日
9月になった。朝のランニングコースにランドセルの小学生が戻ってきた。
楽しそうな小学生とは対照的に、先週から重苦しい気分。母を認知症のグループホームに入居させて2ヶ月半。大きく体が傾き転倒を繰り返していた姿勢の歪みは改善し、それなりに平穏に暮らしていると、施設の担当者からは聞いている。ただ認知機能は大きく低下し、自分に都合が悪いことは忘れている一方、恨みがましいことは覚えている。先月、兄と面会に行った時は、不平、不満、恨み節をまともぶつけられて大きなダメージを受けた。元々、不満や恨み言、嫌な人の話をするのが好き?いや彼女にとってストレス解消なのかもしれないが、そういう人なのだ。グループホームに入らざるを得ない自分の認知機能の衰え、何度も転倒したり、冷蔵庫の食べ物が管理できなくなったり、みたいなことは自覚がないため、「何で私はこんなところに入れられているのか?」という一方的な被害者意識しかないわけで、その恨み言を聞くのは辛い。ただ神経質で外面はいいので、施設の担当者などにはそういうことは一言も言ってないらしい。久しぶりにやってきた息子2人は、そういう思いをぶつける格好の相手でもあったのだろう。だがちょっと、次にいつ行こうか?ということが考えられない気分になっているし、子どもたちを会いに行かせることも躊躇っている。
ただ母にも彼女のことを気にかけてくれる親類がいる。妹と甥たちだ。彼らにも母をグループホームに入居させることは予め伝えてあった。そして落ち着いたら面会に行きたい、とずっと言われていた。気持ちは大変ありがたいのだが、面会に行って彼らがどんな感想を持つか、だいたい想像は付く。先週の金曜日に行くことに決まってからずっと重苦しい気持ちが続いていた。
母は8人兄妹の7番目だ。一番年長の兄とは20歳離れている。4歳下の妹以外はもう全員亡くなってしまった。母と母の妹は、長兄が家業を継いだ家で育ったため、長兄の子どもたち、甥たちは弟のようなもので、彼らにもとても慕われてきた。彼らが東京で学生をしていた頃は、毎週末のように我が家に来て夕食を食べていた。気さくな父の人柄もあると思うが、彼らにとって東京の実家のような感じ。そして私と兄にとっては従兄弟にあたるが、これまた大変可愛がってもらっていた。従兄弟が結婚してからカリフォルニアに留学していた時代、兄と2人でアメリカに行って世話になったこともある。母の妹も母方の親類の中で我が家以外唯一の東京在住なので交流は深い。そういう関係性。最近は従兄弟が声をかけてくれて、年に2回くらい食事に母を誘ってくれていた。ただたとえ送迎してくれても母を一人で行かせるのは危険なので、うちの長男を介助に出したりしていたが。
そんな従兄弟二人と叔母がグループホームを訪ねて抱く感想は、まあ「かわいそう」ということにしかならない。そういう長文の感想や意見が3人から来たのがこの土日だった。思った以上に認知機能の低下が進んでいて、何かにつけて不安そうでかわいそうだった、というような話。現実には母の認知機能の低下は今に始まったことでもない。際限なく不安や心配を訴え続けるのは、ここ1年ほどずっとのことなのだけど、彼らはそういう母の日常は見ていないので、こんなところに入ったら、不安が増して認知症が進んでしまった、と見えるのだろう。ここ何年も母と向き合ってきた私と兄の決断の結果なので、親類とはいえ第三者に言われても、という話なのだけど、従兄弟と叔母の声には誠実には答える必要がある。しかし、どう答えても、叔母にとってはただ一人の姉、従兄弟も姉のように慕ってきた伯母であるわけで、理解はしてもらえないだろう。兄がテンパって返信案を考えることをギブアップしたので、返信案を私が考えて兄に送った。それを兄が日曜日に叔母と従兄弟に送り、その返事が今朝来ていた。まあ完全な理解は得られるはずもない。その苦味をこの先もずっと胸の片隅に残して生きて行かなければならない。
まあしかし仕方がないと割り切るしかない。認知症というのは難しいものだ。母の場合、認知機能の低下は、彼女をあらゆる不安と心配に駆り立てている。あらゆることについて、どうしたらいいかわからない、不安だ、心配だ、と訴える。それは私や兄だけでなく、訪看さんやヘルパーさんが条理を尽くして説明しても、決して「安心」には転じない。「でも」、「だって」とさらなる不安の種を思いついて更に聞いてくるだけだ。通常の神経ではもう付き合いきれない。まあそういう病気なのだ。私と兄はもうそう悟っているが、叔母と従兄弟には理解はしてもらえないだろう。
不安病の母は、夜、体が冷えることを極端に恐れ、寝る前に必ずエアコンを切らずにはいられない。一方、すでにリモコン操作が分からなくなっていてスイッチの入れ方が怪しかった。今年の猛暑で家にいたら熱中症になった危険も高かったと思っている。また今年に入ってからひどくなるばかりだった体の傾きで、これ以上転倒していたら、骨折など寝たきりになるような怪我をしていたかもしれない。とりあえず母は熱中症にも寝たきりにもならず、グループホームで夏を乗り切った。何が正解なのかは分からないが、それは事実だ。
神奈川県葉山町/57歳