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    Sophy's philosophy

    Sophy's philosophy
    ソフィーズフィロソフィ

    on ‘waiting’

    学校があと10日で始まるので、朝の早起きに取り組んでいる。ソフィは夜に目がギラギラになって全然寝ないので、当然朝もゆっくり寝る習慣がついてしまった。学校が始まれば7時には起きないといけないので、徐々に慣らしていく予定。

    それにあわせて、先週から自分の中で取り組んでいることがある。それは、2回以上言わない。ソフィに言わば指示するというか、サゼッションする場面で、これまでは5回くらい言っても変化がないので自分で勝手にイライラしていた。例えば、歯を磨こうね、シャワー浴びようね、とか、そんな程度の日常の話。

    それを2回までとする。「2回だけママがお手伝いできるときに言うから、そのタイミングでないなら自分で決めてね。でも、それ以降は自分でやろうね(髪の毛乾かすとかさ…という内心)」とソフィにも宣言をした。

    哲学者である鷲田清一先生は、「待つ」ということ、のなかでこのようなことを書いている。

    待つ、とは、期待せず信じて腕を広げておくこと。

    待つことの選択が意味するのは、なによりも、関係を思い通りにしたいという自らの願望の遮断…

    そう、わたしは「親として」という理由付けを勝手にしたうえで、娘との関係を思い通りにしようと願っていたのだろう。

    だから、それを遮断まではできないけれど、ちょっとだけ変えてみようと思った。プレッシャーを与えるのではなく、待ってみる。ただし、少し前に軽い提案はしてみる。7歳は全く手放しにしておける年齢ではないと思っているので、あと数年かな、このバランスをちょっと続けてみたい。わたしが続けれるかどうか、わからないけど、今の段階ではやってみようと思っている。

    ベルガモの15世紀に造られた壁。夕日の暖かな照り返しが、待つことを教えてくれている感じがした。

    書き手

    sophy

    sophy

    イタリア・ベルガモ/46歳

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