ひたすら無心で書き進める、写経
昨日生まれてはじめて写経を体験した。 親子ともどもお世話になっている先生のワークショップで「うまく書く」というより「写経...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年9月11日
職場の窓から見えるものすごい雷雨。そういえば今日雷注意って朝のラジオで言ってたっけ。しかし夕方には青空すら出ていて呑気に帰宅したのだが…
家の前に着くと、なんだかご近所さんたちが騒然としている。「こんにちは〜」と声をかけると「大変だったんだよ!」と。聞いたところ、雨が一番ひどかった時に一帯が浸水し、一面海のようになったんだとか。その後水は一気に引いて、私が帰宅した際にはいつもの景色になっていた。にわかには信じられなかったのだが、話していたご近所さんの一人が写真や動画を見せてくれて、「えええ」と声が出た。
我が家は玄関が一段高くなっていたので、室内への浸水は免れたが、もう数センチ水位が上がったらアウトだっただろう。これという被害はなかったけれど、よく見たら家の横に置いていたゴミ箱(結構なサイズ、空っぽ)がない。流されてしまった…
近所の人たちと一緒にゴミや土が溜まった部分を少し片付ける。こういう時「大変でしたよね」と言い合えるご近所さんがいることのありがたさ。東京なんてご近所付き合いないのかな、とか思っていたけれど、そういうわけでもなかった。人と人の本質的なつながりに場所は関係なかった。
話は変わって。
三十年商店キッズたち、今まで割と我が家より年上のお兄さんお姉さんが多かった。なので、日記を通じ子育てに関して少し先行く世界を見せてもらっていた感じ。これは全く想像が及ばない、近い未来を知る非常にありがたい手掛かりの場であった。
最近ニューカマー浮記さんの日記を読んでいると、ほんの数年前のことなのにすっかり忘れていた、でも確かに数年前そこにあった景色を再び見せてもらっている気分。愛しくて愛しくて、でも人生かけて大変で仕方ない、そんな小さな子どもとのあの時期・・・それを見せていただけるのも、本当に嬉しい。
「たいして準備しなくても外でサクッと食べられるようになったという幸せ。」
ああ!そうだったそうだった。かつては色んなことが膨大な準備の上にようやく成り立っていた時期があった。それを思い出すことで、息子たちの成長に感謝するのだった。自分で食べるものを選ぶし、自分で食べる。今や当たり前みたいに感じてしまうことだって、積み重なった成長の上にあるじゃないか。
てことで、今日はまだまだ「外食一大事」だった頃の写真を貼って終わりにします。
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