遊び足りない
平日週に1度は保育園を休ませて、なるべく子どもと2人で過ごすようにしている。今日はその日だったが、そういう日にかぎって悪...
浮記
2025年9月19日
なつかしい言葉を思い出した。2002年の映画か、中学1年生か。
小学校3.4年生の時、同じマンションの親友がいた。2人だけの交換日記をしたり、交換で漫画を描いたりする仲だった。小学校3年生で転校を経験したわたしは、それからずっと何かしら誰かしらと文通を続けることになるのだけど、交換日記を大人になっても始めたりするようになったのは、この子と文字を通して濃密な関係を築けたからだとおもう。頭がよくて半分はなにいってるかわからなかった(笑)彼女は、いわゆる日本で一番頭がいい中高大学に進学した。
成人式前後、facebookが盛んだった頃に一度再会したことがある気がしたけど、特に盛り上がらなかった気がする。いつかまた会いたいけれど、わたしには一冊だけ交換日記が手元に残っているからそれを見返す方がいい時間を過ごせる気がする。彼女もたぶんそうだと思う(思いたい)。そういうタイプの終わらない友情があってもいいと思う。
ピカ⭐︎ンチの脚本は河原雅彦だった。中学1年でまだ交流があったとき、当時から演劇がすきだった彼女からちょくちょくWOWOWの録画を頼まれていて河原雅彦のことを知った。2004年ねずみの三銃士『鈍獣』を観て、わたしも本格的に興味がわいた。お金がないから(アルバイトのお金でライブには行っていたから行くほどではなかっただけだけど)高校生の間は図書館で勉強をするフリして戯曲を読んで舞台を想像した。大学受験真っ只中の2月はなぜかひたすら河原雅彦いやマッチャーのブログ『吹けよ風、読むなブログ』を読み倒した。毎晩読んでいたのに1ヶ月かけても全部さかのぼれなかったような。晴れて大学生になって、はじめてナイロン100℃『神様とその他の変種』のチケットをとったけれど、結局お金がなくてオークションで(といっても定価譲渡みたいなサイト名前なんだっけ)売ってしまった。たしか高田馬場の駅のホームで手渡しで譲った気がする。ほんとうに初めて舞台を観にいけたのは、それから5年後同じくナイロン100℃『パン屋文六の思案 ~続・岸田國士一幕劇コレクション~』だった。2014年、舞台に興味をもちはじめて10年後のできごとだった。
今思えばU25割やら学割やら演劇界隈は若者にやさしい。なんてたって“生”はお金とか問題ない、なんというか情熱がある。行ったことがないだけで、それこそ歌舞伎やら宝塚やら劇団四季もそうなのだと思う。もう25歳は過ぎてしまったけど、たまにしか行かないから!とS席をとったりして、ちょくちょく観に行っていた。
最後にチケットをとったのは、ねずみの三銃士『獣道一直線!!』ねずみの三銃士とは、生瀬勝久・池田成志・古田新太の企画ユニットで宮藤官九郎が脚本、河原雅彦が演出を務める。なにより5年に1度の上演で、『鈍獣』以降チャンスを逃していたわたしにとって悲願だった。
んが・し・か・し
時は2020年。コロナ禍の大変動に巻き込まれていたわたしは(世界中がみんなそうだったけれど)会社最寄りのアパホテルに泊まるくらい忙しい日々を送っていた。あろうことか公演日に電子チケットを見ると過日。え?
え?え?え?こんなこと初めてだった、ショックすぎて見なかったことにした。ふだん自分の不幸をギャグにしよう♪(©️メガマサヒデ)と思っているのに、恋人にしか話せなかった。慣れない電子チケットのせいもあると思う。
そしてこれを書きながら気づく。いま2025年じゃん。つまり5年に一度がいつのまにかやってきている、焦って調べるがGoogleのTOPに“ねずみの三銃士の2025年公演に関する情報は現時点で確認できませんでした”と表示される。このAIの概要って本当か?
今日は金曜日くたくたでお風呂浸かって寝ますみたいなことを書こうとしたのに、今日の子どものようすを振り返ったタイトルをいれたら、なんだかダラダラ語ってしまいました。
明日また情報がないか調べてみることにします。コロナの影響で2019→2020になったから、6年後に変えるのかしら…なんて期待したり。
それでは、シーユー。(©️マッチャーこと河原雅彦)
埼玉県さいたま市/36歳