日記ルーティンから広がる考察
今日は何をしたかなぁ、と振り返る時によく見るのはアルバム。撮った写真を見ながら、こんなことがあってあんなことを考えてた、...
島縞
シマシマ
2025年10月1日
今朝、今年一番の秋らしさを感じて気持ちよく目が覚めた。
自分で決めたルーティンを毎日こなせるのが心地よかった。それができるできないは、なんの評価にも値しない。自己満足の状態であったけれど、達成感もあり続けられていた。
けれど、この10日あまりはなんとなく重かった。頭も心も体も、全部が重かった。仕事するために必死で起きていた頃を、ちょっとだけ思い出した。そうして、鬱々としたものがずっと続いて、私を飲み込んでしまうのではないかと恐れていた。
だから、今朝の爽やかな空気に秋を感じて、気持ちが軽くなった瞬間にものすごくホッとした。私は大丈夫だ、そう思えた。
秋が本格的に腰を据えてくれたような気がした。それでとても嬉しくなって、今晩からはきっと薄手の毛布が必要になるだろうと洗濯して、薄手の長袖パジャマもだした。やけどのせいで、昨晩そのままにしていた流しもきれいに片付けられた。
月初はいつもより定例のお仕事が多め。だけど、頭もしっかり動いてくれたので、今日すべきことは終わらせることができてホッとしている。ただ、一日の終わりに何点か修正で差し戻しがあり、ちょっとモヤモヤとしている。チェック担当者がいらっしゃるのだから、作業者としては早めに終わらせて確認してもらい、修正があればまたササッと直して完成させたほうが効率がよいのだろう。けれど、何重にもチェックしないと気がすまない。そうしてチェックしたものが差し戻されてくると、落胆が半端ない。完璧を求めすぎていると思うけれど、これくらいできないでどうすると本気で思っていたりもして、疲れてしまう。本当はもっと肩の力を抜きたい。別に完璧を求めなくていいじゃないかと思う。死ぬわけじゃなし。充分適当に生きているのだけれども、ある部分でもっと適当に生きられたらと思う。
せっかくの爽やかな秋が台無しになりそうなので、思考はここでストップしよう。
今朝はつまみ読みしていた、「スノードームの捨てかた」を読んでしまった。以前ぐっさんが読まれていたような。くどうれいんさんの表現やオノマトペが、きっとこれはくどうさんらしさなのだろうと思う。それから、そういう視点でみるんだっていう驚きとそこからの発見がとても新鮮。ここで終わって、このあとどうなった?っていうお話もあって、ここ最近出会った作家さんのどの方とも違うと思ってとても興味がわいている。染野太朗さんとの短歌集も実は購入しており、少しずつ読み進めている。短歌なので、読もうと思えばあっという間に読んでしまえるのだけれども、ひとつひとつ丁寧に感じたいと思う。そういう時間を持ちたい。
「死ぬまで生きる日記」も、週末に読んでしまった。過去の自分とは異なる部分もあるのに、脳が自分も同じように苦しんだような気になって、なかなかに重かった。読み進めていくうちに、あの頃わけも分からず苦しんでいたことが言語化されたようで、書かれている土門蘭さんの気づきとともに、自分も軽くなる気がした。
今日の読書は、きれいに掃除した床に転がって。
掃除の後のこの瞬間がたまらなく好き。
「シン・短歌入門」もつまみ読み中。夏井いつき先生のYouTubeで俳句も学んでいるのだけれど、知れば知るほど私が自由奔放やっていることは間違いのような気がする。けれど、間違いと気づくところから進めていけばいいさね、とも思っている。
のんびりとではあるけれど、興味のあることに没頭する時間があることがしあわせ。性に合っているのかな、そうだといい。
夜、窓を開けているけれど、クーラーの風より冷たい。娘はまだ半袖がいい、と風呂上がりに言っていたけれど、夕飯の後には長袖でよかったという。大好きな季節がやっときた。寒さに身が縮むその時まで、存分にこの季節を感じよう。
浮記さん、味噌の話をとこさんとしてました!私は、生まれてからずっと、ばあちゃんの作る味噌で育ち、今は母が引き継いだその味をありがたくいただいてます。いつも8月頃作っていたけれど、夏の暑さが長くなり、ここ数年は今頃作るようになりました。早朝から火をおこし、毎年1年分を一度に仕込みます。
長崎県五島市/44歳