北海道のブリ
横浜駅の生鮮市場をのぞいたら、大きくておいしそうなブリの柵が300円引き。890円でも十分値ごろだと思うが、さらに300...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年10月5日
長女の誕生日!22歳に。おめでとう。
今年の夏も事故って骨折するなど、これまで色々、色々あって、無事?なのかは分からないけど、22歳の誕生日を迎えて大学4年生、就職も決まって、来年は家を出る。頑張った長女。そして妻と私も頑張った。このところ、長女が生まれた頃のDVDを見返したので、あの当時のことを思い出しているけど、もう必死だったとしか言いようがない。のちに子どもの数が増えていって、大変さ、混沌さはもちろん増していったのだけど、じゃあ娘一人の時が余裕だったか?というと、そんなことは全くない。むしろ娘一人の時に苦労した絶望的な大変さの記憶の方が鮮明かもしれない。夜になると泣いて全然寝ない娘にヘトヘトになっていた妻、目が死んでたな〜。仕事から帰った私が抱っこ紐に娘を入れて、夜の町を寝るまで歩き回っていた。雨の日は傘をさして。当時住んでいたのは広島市の安佐南区というところ。歩くコースはだいたい同じで近所の区の文化センターの壁には、いつもヤモリが這い回っていた。寝ない娘を抱っこして歩く夜の町にヤモリ。毎晩毎晩、それが続く中、いつまで続くんだろう?と絶望的な気持ちだった。そう長女の頃の記憶は結構鮮明だ。あとになって気付くのは、子どもの成長というのはものすごく速くて、いつまで続くんだ?という無限地獄、同じ苦労は何ヶ月もは続かなかった。せいぜい数週間だった気がする。私が娘を抱っこして歩き続けていたのも多分、何ヶ月もはなかったと思う。数週間すると、そこまでの無限地獄はあっさり終わって、次のステージ、新たな無限地獄が始まるわけだ。でも記憶が鮮明なのはやはり長女の時で、二人目以降は私も妻ももう記憶が飛んでいる。
互いの親にとっての初孫で、妻の祖父母にとって初曾孫だった長女は、多くの人に祝福されて生まれてきた。たくさんの人に可愛がられて、健康で勇敢で、優しくて、少し声が大き過ぎる子どもに育っていった。負けん気というか、勝負への執着心が謎の強さなのはなんだったのだろう?(笑)小学校の運動会で自分の白組の勝利に異常に執着していた。1年生の時も2年生の時も、運動会は長女の白組が負けたのだけど、終わったあと、家にムスッとした表情で帰ってきて帰宅一番「赤組はズルい!」と本気で怒っていた。(笑)
この辺のエピソードって、去年の娘の誕生日に日記に書いたかな?と思って振り返ってみたら、去年は10月1日のあと、日記は6日まで飛んでいた。思い出した。急に衆院選が前倒しで行われる見通しになり、4日程家に帰れなくなったうちに誕生日が過ぎていた。あの時は、過去にないレベルで私も周囲に「フォース」を使って強硬に仕事をしなければならず、物凄く大変だった。あれから一年、そしてこの総裁選の結果か・・・。党員ではないので、特に何も言わないが、国政選挙となった場合は、話は別だ。公職選挙法という法律を大きく見直さなければならない時期に来ていると個人的には思っている。なんせ古過ぎて奇妙奇天烈過ぎる。今の時代にキャッチアップできていない部分が多々ある一方で、謎の条項が多々残存している。候補者が事務所に掲げていい提灯は一個まで、とか。ネットでデマを撒き散らしても、やったもの勝ちみたいな状況を変えるためには、235条の見直しがまず必要だと思うが、この総裁選にしても、プレイヤーの主体も分からない、情報の真偽も不明瞭なネット上でのディスり合いが「主戦場」のようになっている状況なので、勝った方はこれに利を得た形になりそう。改革への意志を積極的に示す可能性は低いのではないだろうか?まあでも、我慢は限界を超えつつある。何とか変えていかないといけないと思う。
そんなモヤモヤな日。天気が悪いので家でせっせと酒の肴作りに勤しむ。(もっとマシなことにエネルギーを使え、とは思います。)オーケーで良い感じの鶏皮を安く売っていたので、博多風鶏皮串製作チャレンジ。でも2パックはちと多かった。串を刺す右手の握力を使い過ぎて疲れた。1時間くらいかけて24串。オーブンで30分加熱して脂を落としてタレに漬けておき、食べる分だけグリルで焼く。原価400円弱で完成。物凄くヒマな人はお試しください。(笑)串に刺すよりも皮を切るのが実は大変。包丁をよく研いで作業するのがコツだったりします。
早速少し焼いてみたが、うまくできた。本場の博多のものは未だ食べたことはないけど。なお、本日も実は妻が腰を痛めるアクシデントがあり、夕方治療に送迎したり、色々大変でした。ということで、飲んで慰労。あ、ちなみに長女の鎖骨骨折はおかげさまでほぼ回復し、自転車やバイクに乗れるようになりました。
神奈川県葉山町/57歳