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    風早草子

    風早草子
    カザハヤソウシ

    久しぶりの広島

    路面電車の広電が、広島駅の二階部分に食い込んでいて驚く。広島駅がビックリするほど格好良くなっている。前はかなり残念な感じだったのに。かつて新幹線口と言われていた北口はホテルグランビアしかない殺風景な場所だったのに見違えるよう。そして駅や路面電車にあふれるインバウンドの観光客。広島、ホットスポットになってる。

    考えて見ると、広島にちゃんと行ったのは久し振りだ。12月に車で鹿児島に行く途中、妻の実家には寄ったのだけど、お墓参りしたくらいで早々に通過していた。調べてみたら、2016年に出張で行っている。その頃は夏と正月に家族は毎年広島に行っていて、私も行きか帰りはだいたい同行していたのだけど、2018年に妻のおじいさんが100歳で亡くなると、こちらが広島に行くのではなく、妻のお母さんが葉山に来るようになり、広島にみんなで帰省する習慣がなくなった。妻や子どもはそれでも用事やカープ戦の観戦で広島に行っていたが、私は本当に久しぶり。その間に随分変わっていたようだ。

    今回は同僚を一人連れていった。現地メンバーと合流してまず会合に参加。ちょっと会場がイレギュラーだったが、内容的には収穫があった。我々が始めた改革が地方の同業他社にも浸透して新たなスタンダード、当たり前になり始めている。改革の進行を感じられ、ちょっとうれしい。そのあと、かつて働いていた広島の職場にも行った。

    私は1999年から2004年、そして2009年から2013年、合わせて9年間広島で勤務していた。ディレクターとして、デスクとして、全力で番組を作り、部下を育成し、まさに全力で働いていた。でも仕事よりも、最初の5年で妻と出会い、結婚し、長女が生まれ、2度目の時に双子が産まれ、私の人生が大きく動いた場所だ。総合的に考えて、私の人生で最も重要な街だろう。

    職場には旧知の顔も多く、予告なしにやってきた私にあちこちで驚かれた。(笑)産まれたばかりの双子を含む5児を抱えてヘロヘロになりながら、仕事では確かな実績を上げていた私はそれなりにリスペクトを受けていたので、皆懐かしそうに寄ってきてくれてうれしい。そして十数年前、私が一から育てたディレクターがまさに今、大きな仕事のメインディレクターとして活躍していることを知った。当時、地元の大学を出たばかりの22歳、ややヤンキーぽい(笑)、世間の常識とかにも疎い女子だったけど、明るくてノリが良くて一生懸命だった。いわゆる正社員ではなく最長5年の有期雇用の現地スタッフという立場だった。そういう立場であっても、私の下で働くかぎり、この業界で生きていけるようになって欲しかった。若い子達を使い捨てみたいには絶対したくなかった。だからディレクターとしてのスキルを全力で叩き込んだ。私の下には当時、そういう子たちが常時、7〜8名いたのだけど、その多くが今もディレクターとして、ずいぶん立派になって活躍している。出産した後、小さい子を抱えながら最近、業務復帰しているディレクターもいると今回聞いた。うれしい限りだ。あの頃、本当にヘロヘロだったけど、自分の哲学、信念に基づいて、全力で、本当に全力で真摯にやっていたことが正しかったと確認できる気がする。久しぶりの広島で飲んだ酒は美味かった。

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/57歳

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