能登→沖縄→ルイジアナ
朝は打合せに代官山へ直行。能登をサポートするための案件に関われてとても嬉しい。22年のキャリアの全てを注ぎたいと思う。 ...
P.S.
ピーエス
2025年10月23日
水曜、今日もボーイと登校から。
かきぬまさんの日記を読んででずっと前からそこにある、心の泥のようなものを再度見つめる。その真っ黒でドロドロしたものはたしかに私の中にもあった。
私の父は物心付く前からまず手が飛んでくるタイプで、鉄拳教育によって私は育てられた。後に聞いたところ、あまりにもそれが苛烈であったため、弟には手も口も出すな、ということで家庭内のルールが敷かれたらしい。私は母に叱られた記憶はないし、弟が父に叱られているのを見た記憶もない。そういうふうに育っているから自分が親になったとき、すぐに手が出そうになる自分を抑える、というのが第1期。会話の成り立たない、ただの可愛い生き物が突如としてモンスターと化し、鉄拳で言うことを聞かせようとする自分に「これ、相手が190cm、100kgの巨漢だったらやるか?」と自問するのが第2期、という感じだったように思う。実際に頭をはたいたりしたこともあるのでこのドロドロした感情は記憶にしっかりと刻まれていて、きっと一生背負っていくのだろうと思っている。
最近ではこのドロドロはずっと深いところに沈んでいて、ボーイとは同じレベルで喧嘩している。そして妻にたしなめられる。
15歳の頃に一度、そろそろ勝てるんじゃないかと思って父が声を荒げたのをゴングに殴りかかったことがある。試合開始30秒でノックアウトされた。意外と清々しかった。その後数年して、弟が高校生だったから、私は大学3年とかだったと思うが、弟が不意に父に腕相撲を持ちかけて勝ってしまった。流れで私も父と腕相撲をして、やはり勝ってしまった。このときの複雑な心境もありありと覚えている。
私は父ほど屈強ではないので、同じように15歳くらいでボーイが挑んできたらあっさりと敗北するだろう。そしてボーイは私が父に腕相撲で勝ったときと同じ心境を味わうだろう。こういうのは父子特有のものかもしれない。
けっきょく、私はいま父を愛しているし尊敬している。殴られた記憶よりも、父がそれは違うだろと思ったときに仏間に連れて行かれて対面で座り「何がいけなかったか」を問われる時間。針の筵とはあのことだと思うが、そうやって向き合う時間をその都度作ってくれたことで全て愛だったな、と思うに至った。
父は私が小学校に上がるときに言ったことが2つある。私の人生の指針にもなっていることだが、
・喧嘩に負けたら帰って来るな
・1+1=2と習うだろうが、鵜呑みにするな
である。
さて、そんな日にボーイが夕食中「今日◯◯君にパンチされて泣いちゃった」と話すのを聞く。私も妻も椅子から腰が浮くほど反応し、「やり返さなかったのか?」「100倍返しにしてやれ」と物騒なことを言うが、ボーイはただ悲しそうにしているので「今度そういうことがあったら、なんでそういうことをするのかちゃんと聞いて話してみな」というところに落ち着く。私も妻も内心は燃えたぎっているのだが、闘争を焚きつけるのは少なくとも我らが息子においては違うようだと学んだ。
ボーイに挑みかかられる日のために少しくらい筋トレしておこうかな…。
写真は1歳の頃のひたすら可愛い生き物。