あん肝
佐島ランニング途中の浄楽寺朝市。よせばいいのにまた買ってしまった。アンコウ1匹。何せ600円だし。網で擦れた傷があるから...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年10月23日
久しぶりに社食でラーメンを食べた、とか、awsの障害が私のシステムに影響なくて良かった、とかお気楽な話を書く予定だったけど、そういう流れじゃないですね。
かきぬまさんの日記に出てきた児相というワードを見ると、苦い気持ちが色々蘇ってくる。昔取材したことがあり、児相の人にはかなり詳しく話を聞いた。虐待死案件などが起きると、対応が後手だったのではないか?とか叩かれがちだが、気の毒だ。業務はとてもハードだし、忙し過ぎるし、要員体制が脆弱すぎる。自治体によって違うだろうから一概に断言するつもりはないけど、少なくとも私が話を聞いた範囲ではそうだった。使命感は強く、大変でも頑張るのだけど、バーンアウトしてしまう職員も多いという話だった。近年、虐待が問題になり、児相の権限は強化されてきて、保護者の意向に関わらず児童を職権で保護できたりするのだけど、保護児童をケアする体制が大抵不十分で、次々保護する児童をずっとは面倒見れず、やむなくどこかで保護者に返す、みたいなことになりがちで、そうすると再び虐待が起きたりする。では児童養護施設へ?ということになるのだけど、こちらはこちらでまた問題は山のようにあり、闇が深い。いつかやらねば、と思って、養護施設出身の女性の方が書いているブログなどをいくつか、結構長年にわたって読み続けていたのだけど、残念ながら番組などで発信できなかった。彼女らは口を揃えて、養護施設より里親を、と訴えていた。養護施設を問題視する理由は、多数の子どもがいる施設内で起きる弱い子どもへの性加害の多さを上げていた。彼女らが毎日のように更新するブログの内容には、明らかに当事者感がありリアリティーを感じられた。しかし、結局、直接アプローチして取材したりするアクションまでは起こせなかった。世の中にたくさんいる養護施設の出身者、そして現在もそこにいる子どもたち、働く関係者の尊厳や名誉を傷つけず、養護施設に関する問題をテーマにした番組を作る方策が浮かばなかったからだ。力不足は恥いるしかない。
忙しすぎる児相の状況とかは、この国の子育て支援が貧弱であることの表れであり、長年放置されていることはとても大きな問題だ。五輪とか万博とかやっている場合ではないと私は思っている。2350億円使えば、全国の保育士の待遇を大幅に上げられるはずだし、待機児童だってもっと少なくできるはずだ。
広島にいた頃、部下のディレクターがネグレクトの問題を取り上げる番組をやったことがあった。親に面倒を見てもらえない幼い兄弟が夜の街を二人で歩き回っていて、保護されたみたいな事例もあった。そのイメージ映像を撮影するのにうちの長男と次男に協力を頼まれて、妻が二人を連れてロケに立ち会った。しかし、うちの子供を二人で歩かせると、どうも楽しそうになるのか、虐待されている子どもという雰囲気にならず、ディレクターが悩み、何回もテイクさせられて子供がうんざりしていた、と妻から後で聞いた。編集した番組を試写すると、確かにうちの子供は、なんか雰囲気が合わないな〜、という感じだったが、映像をスローにするなど、加工して多少それらしく見えるイメージ映像として使った。しかし、本当のその兄弟はどんなふうだったのだろう?というのが、頭に引っかかっていた。当時の部下たちは、父子家庭の貧困の問題とか、自死遺族とか、孤独死とか、重いテーマを提案してくるので私も必死だった。
そして私と暴力?
私の父は新聞記者だったが、筋金入りの暴力嫌いで、父に手を上げられたことは一度もない。怒鳴られたこともないと思う。短気でヒステリックな母は、よく大きな声を出し、特に兄と罵り合いをしていたが、父はよほど怒っても少し不機嫌になるくらいだった。そういう育ち方をしたせいか、私も家族に手をあげようと思ったことはないかな。まあ正確には長男を一回、結構マジで頭を叩いたことはあるけど。広島にいた時、私のCPAPの病院に長男と次男も連れて行ったのだけど、待ち時間が長過ぎて近所のドラッグストアにちょっと買い物にいった。この時、レジに持っていくものを次男に持たせていたら長男が意地悪して取り上げて、「返して!」という次男をからかいながら売り場の中を走って逃げ始めた。やめろ、と注意する間もなく、追いかけた次男が転んで陳列台の角に頭をぶつけて、血がピューっと出て、売り場の床にポタポタポタポタ。その時は思わず、「アホッ!」と反射的に長男の頭を叩いた。知らない人が貸してくれたハンカチで血を押さえて、店の人に謝って、タクシー呼んで脳外科のある病院に連れて行って念のためにCTもとって検査して、もう大変だったのだ。でも多分子どもを叩いたのはその一回だと思う。
ロックダウンの時のソフィさん、本当に大変だったと思う。やっぱり助け合える人がいることは救いになると思う。私の転勤で、知り合いがいない東京に出てきて子育てをすることになった妻は、自主保育の仲間に出会えなかったら大変だったと思う。でもおかげであの頃の子供の写真は笑顔のものばかりだ。
代々木公園での毎日のマラソン、手作りクリスマス会(誰のお父さんだろう?)、そして手作りの運動会(綱引きの綱は我が家に保管されていた)、楽しかった!
子どもも親も、みんなが笑顔で過ごせる社会を作りたいし、守りたい。
神奈川県葉山町/58歳