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    浮記

    浮記

    秋の中に立っている。

    今日も秋晴れ。

    起きてすぐ電車であそび、共に朝ごはんをたべ、掃除機をかけ(乾燥したとたんホコリがすっごい!)、洗濯を干す….ちょうどこの干しているくらいになると、子どもは物足りなくなってグズりはじめる。絵本を持ってきて「いまいくよー」と言っても、この場で読んでくれと足にしがみつき、そのあとは少しでも他のことを優先させるとダメ。家事の色々を中途半端にのこしたまま、子どもを先に着替えさせるともう外に行くモードスイッチONで、母どう考えたってこの格好では外にいけないでしょ、てのは通じず靴はかせろ!と怒り泣き。なだめながら準備が整ったころには少し落ち着いているけれど今度はやっぱり違う靴下にしようかなで何回も何回も履いては脱ぎをくりかえす。休日だから、ここはとことん付き合うよと納得いくまで履かせたり脱がせたり。服は図鑑で“ロマンスカーGSE”を見たあと「赤にしよう」という話になり、赤がはいった80sみたいなFELIXのトレーナーにズボンも赤の縞々という派手コーデ。靴下も最初は赤にしたけれど、結局リスの顔がついたものに決まった。

    さっきのやりとり、似たり寄ったり毎回のことだから、先に支度をすればいいのでは?と思ったりもするが、なかなかうまくはいかない。最適解なんてないのに最適解を頭のスミでずっと解いている。今度はこうしようかなって。それでも今日は思いっきり散歩に集中できた。家の前の街路樹はハナミズキ。ハナミズキの真っ赤な落ち葉が強風で吹き飛ばされている。大人になって読み返した夏目漱石の『三四郎』の大好きな一節をおもいだした。「わたし達、秋の中に立っている!」

    目的地がないので家の周りをひたすら散歩。パン屋に寄りたくて、そこはちょっと導いてしまったけれど、基本子どもの思いついたほうへ。3日前からまたおしゃべりブーム。語彙が増えるというより宇宙語で長文をひたすらしゃべっている。でもなんとなくこちらも意味がわかるようになってきている。今日はずっと金木犀が散ったオレンジの絨毯をみつけては「こっちにはある!けど、こっちにはない!!」と一生懸命話していた。今までは「こっち!こっち!」だったのに、ちゃんと長文で話しているのがかわいくて面白くて一生懸命で尊敬する。長い階段も上り坂も楽しんで、パンも食べて、すべり台を一緒にすべって、ブランコでふたり爆笑して、変な歩き方をしたり、わざとよろめいたり、顔を見合わせて何度も笑ったりした。

    「ここはどこだ?」というところまできて、ちょうど「ああここにきたわけか!」となったとき、やっと“だっこ”と手を伸ばしてきた。家まで本当にあと5分の場所、それまで2時間!!よく歩いた。わたしも疲れたから疲れて当たり前だ。抱っこしているあいだ「人生をふりかえったとき、きっと1日でもいいから今日みたいな日に戻ってみたい!って思うんだろうな」と思った。しかし今はこころから幸せをかんじる余裕はない。まあ、でも「きっと幸せなんだと思う、と思えることがすでに幸せなんだろうな~」と思い「ひねくれていて絶対に幸せを認めたくない人みたいだな~」となりながら帰宅した。

    今日は夫が19時には帰ってきたので、それだけでなんだか肩の荷がおりた感じがした。幸せを感じる余裕がない理由はここにあるかもしれない。なんだかんだ気を張らないと1対1で対峙できないのだ。どんなに散歩がたのしくても気がぬけないのは、急に車が飛び出して来たとしても絶対に助けることができるだろうな、と自信をもてるくらい身体と五感が厳戒態勢モードなのだと思う。でもおかげで子どもはここ最近で1番しあわせそうだった。赤い服を着て秋の中にいた日があったこと、なんとなくでいいから覚えてくれてたらいいのにな。

     

     

    書き手

    migiwa

    migiwa

    埼玉県さいたま市/36歳

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