「あ」
「用途など無いのかもしれない」シリーズで、今日の写真は私もミュージアムショップ土産。デザインあ展の「あ」 用途はないとも...

かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年11月13日

耳さん、わたしも「たまごの手」言われてました。よく聞くけれど今思うと不思議な表現ですよね。
そして忘れかけていたピアノについての記憶の扉が色々とノックされた。
私の母は音楽教師なのだが、母の意向で私は母ではない別の先生にピアノを習っていた。
この先生がとても不思議な先生で、指導者というより芸術家!って感じだったな。レッスンに行っていろんなことをたくさんたくさん話した。何を話したのか全然覚えていないんだけど、先生と話すのがとても楽しかったことだけは覚えている(ほぼ弾かずに帰ってた時もあった気がする…苦笑)
指導法も今思うとちょっと不思議な教本を使っており「ツィーグラー」というのを使っていた。ひたすら、ドー、ドー、ドー、ドー、、、みたいに単音で弾きながら音の美しさを研ぎ澄ましていく。そんな内容だったことを記憶している。そのとき先生はたしか「水滴が落ちるように、指を鍵盤に落とす」みたいなことを言っていた。
先生のご指導のおかげもあってか、小学生の時コンクールで県代表になったこともあった。そんなこともこれを書くまですっかり忘れていて、今じゃ「そういえば私ってピアノ弾けたかも」くらいの技術しかない。息子たちがもう少し大きくなったら、私はピアノの習い事を再開したいかもしれない。
その時私の手は、たまごや水滴になれるだろうか。
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