労いの膝
今日は雨もひどいし家で過ごそうと息子たちと相談して決めた三連休最終日。私は家の整備、息子たちは狭い家を何やらバタバタと走...

かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年12月11日
サイコさんが昨日の日記を読んでリアクションをくれて嬉しい。そこに(日々150%で生きる人代表)って書いてくれていて、あ、私の一日は人から見たら「150」に見えることがあるのかと知る。ただただ淡々と書いたつもりなのだが忙しなさが滲み出ていたらごめんなさい(平日に一度だけある習い事デーだったので週の中でも特にバタバタな一日でした)
そして隣の芝生は青く見えるとはまさにこのことで、私のような150の生活からは享受できないものがあるはずなんだ、と思ってしまうのです。サイコさんが自分の記録は書けない、ゆる過ぎて申し訳ないと書いていた暮らしにこそ、得られるものがあるはずなんだ。と。それを手放してまで私は何をしてるんだろうって、たまに立ち止まって振り返って、起点がどこなのかわからないけれど「なんだか随分遠くまで来ちゃったな」って思うことがたまにある。
人間はないものねだりな生き物だけど、でも要は自分で納得して自分で気持ち良いポジションとギアでいられたならば、それが正解ってことなんだよね。「自分上級者」とはまさにこのこと。
私は今の生活を頑張るし、これが今の私って思えるけれど、一方でもっともっとより良いバランスを模索してもいる。来年の定点観測はどうなっているんだろう、少しでもいいから自分上級度が上がっていたらいい。
商店鳥担の風早さん「あほうどり」と一つだけの単語からあんなに情報が出てくるなんて博識すぎて本当にすごい。
絵本の中のあほうどりはちょっとおまぬけさんですが、実物は格好良いと聞いて人生で一回はこの目で見てみたくなりました。

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