骨折から二週間
師走に入った1日月曜日の朝に骨折しやがった双子1号。今日でまる二週間だ。骨折した左手はまだ使えないけど、両手の平の擦り傷...

風早草子
カザハヤソウシ
2025年12月23日

7時になってようやく明るくなってくる西日本の冬の遅い朝を久しぶりに体感。
前泊したおかげで仕事の始まりまで少し余裕はあるので、軽くランニング。昨夜居酒屋で見た楽しそうな若者たちが学生だったのかは分からないが、とりあえず、山口大学のキャンパスに向かってみる。

走り出してすぐにあったのは刑務所。あまり身近でない施設だが、住宅街の中に普通にあった。

線路を横断するところにはこんなゲート。あまり見たことがない気がする。

大学が近付くと、学生向けの看板が増えてくるのは地方の国立大学周辺のあるある。山口大学は他県から来てアパート暮らしの学生が多い模様。略称で山大なんだなー。山形大学も山大らしい。


山口大学は、医学部と工学部は宇部にあるが、他は全てここにあるそうな。国立大学らしく、キャンパスは広々している。この前行った福井大学もそうだったけど、地方の国立大学の環境は羨ましい。京都の学生生活はある意味楽しくもあったけど、勉強の方は、マンモス私大、学生が多い割にキャンパスはさほど広くなく、授業は大教室での一方通行みたいな講義が多かった。もっと整った環境でちゃんと勉強したかった気がする。まあでも大学に入り直すなら、もう法学部は選ばないかな。正直、鹿児島の大学で学んでいる長男はとても羨ましい。

大学のあとは恒例の地元名門高校。山口市は県立山口高校というやつだ。卒業生は岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎・・・山口県だし。他、作家の重松清や詩人の中原中也など。
さて仕事。山口は広島に合計9年も勤務していたのに、1回しか来たことがない。下関で通り魔殺人事件が起きた時に緊急応援で駆けつけた。調べたらそれは1999年だった。実に四半世紀ぶり。(笑)そもそもその時とは建物が変わっていた。
山口には私のプロジェクトにこの2年半、協力してくれている先輩がいる。私よりずっと偉かった方で、定年後、契約社員という形で故郷の山口で普段は若手ディレクターの面倒を見ている。リモートで私のプロジェクトの業務もしてもらう契約になっており、重大局面では本部に長期出張してもらっている。私がただ一人、全面的に信頼し、頼りにしている重要メンバーだ。思えばこの2年、要望し続けている抜本的な体制の拡充が一向に進まない中、私と先輩の2人で10人分くらいの仕事をしてプロジェクトを回して来た。まさに戦友だ。ということで今回は現場の視察に加えて、先輩と今後の戦略、方針についても協議するのが目的。

まずは山口県庁。そもそも山口市は、長州藩が幕末に攘夷にあたって軍艦から砲撃を受ける危険がある萩から藩庁を内陸の山口に移したことから始まっているのだけど、その旧藩庁の場所にそのまま建っているらしい。過剰に立派な感じの県庁だった。毎度のことながら、やはり来たなりに発見があり、貴重な情報がさまざま得られた。
そしてその後、先輩と諸課題について検討協議。孤立無援みたいに状況の中、我々のようなロートル2人で、ほんとに頑張って来たのである。まあ我々ふたり、ロートルだけど、海千山千ではあるので、簡単に折れたり負けたりはしないけど。先輩は人格者である上に、年齢の割にITリテラシーが高く、そういう仕事も速いのが非常に助かる。

終了後、慰労の会。2年半一緒に仕事をして来たが、二人で飲むのは初めて。彼は彼でまた、お母さんの介護の問題に直面しており、今後はそういう配慮が必要な場合もありそう。そういう事情も含めてじっくり話せたのはとても有意義だった。そしてレア鯵フライというのが、美味しかった。

神奈川県葉山町/58歳