graffiti
落書きがあるところは治安が良くないので注意せよ、ギャングがいるぞ。なんて言われたこともあった。確かにそうかもしれない。 ...

Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2026年1月28日
イシュミナに毛柴新発売さんが!ちょうど昨日、耳より相関図での毛柴さんプロファイルを聴いたところだったので、未来の放送を余計に楽しみにしている。毛柴さんは新宿生まれで新宿で思春期を過ごされたそうだ。「ゲームセンターには近づくな」と言う先生の発言、わたしの岐阜の田舎でもおんなじだったけれど、その危機レベル感が全然違うことは想像に難くない。
わたしは大学生のころに歌舞伎町のバッティングセンターを超えたあたりに住んでいた友人がいて、彼女のことを思い出した。よく彼女の家に泊まりに行ったら、ママをはじめいとこやその娘ちゃんとか、中華学校のお友達とか、とにかくいろんな人が家にいた。そしてみんなと一緒に過ごした。何をしたかは覚えてないけど、若い女の子たちが過ごすような時間だったんだろうな。
台湾出身の彼女の家族は、日本に長いこと住んで日本人に帰化してから、ロサンゼルスに移住して行った。たしかパパとママはロスでビジネスをしているんだったような。いまは連絡し合っていないけれど、パワーみなぎる彼女のことだから世界のどこに行っても元気に過ごしているだろう。
思えば、わたしが日本の外にルーツを持つ友人を持ったのが彼女が初めてだった。歌舞伎町育ちだから、日本語はペラペラで、彼女のママの通訳をしてあげていたくらいな彼女だったけれど、美味しい中華料理を一緒に食べに行って、チャーシューってのは、薄っぺらくて塩だけが効いてるスーパーに売ってるやつだけじゃなくて、こんなに分厚くて柔らかくてスパイスが効かせてあるものなんだって知ったり。今思えばあれは八角の風味。そして血縁をすごく大切にしていることとか。未年うまれなので、ヤンヤンっておばさんに呼ばれていたりとか。
中国語がメインの母に日本語で通訳をしてあげるところなど、二十歳くらいのわたしは、それをなんともなく見ていたけれど、当時の彼女がいまは自分の娘に近いところがあると気づかされる。言葉ができたからあからさまな差別とかされなかったと思いたいけれど、私の気づいてない部分でいろいろ繊細に感じていたことはあったのかな。なんとなくマイノリティさを感じるという微妙なラインで生きていたのか、はたまた全くそんなことなかったのか、逞しくあった彼女を思い出す。
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saicoさんの日記でめちゃくちゃ励まされた。「わたしかぶせ側です」と言えるのがカッコいいと思った。そして、saicoさんはそれを「言える」というCanではなく「言う」っていうシンプルなDoであることにさらに彼女の在り方を感じて好きだと思った。
実はわたしも高校生と大学生のときにマネしまくってた。しかもその相手は、一番大好きな友人。彼女が履く靴、コートなど、素敵だと思ったものは真似した。それを嫌だと直接言われたことはないけど、そのうち彼女はまた別の素敵なものをさらりとまとってくるのだった。あれは、はっきり言って「憧れ」だった。
まだ自分には「これが好きだし、自分にも似合う」という確信みたいなのが全くない年頃だった。だから真似した。マネっこが数年続いて、ようやく自分が好きなものがわかってきた。だからマネの対象が、雑誌とか街のどこかで見たやつとかに変化した。
オリジナルさっていうのは、自分には全く備わっていないと思うので、ならばどこかの記憶からブリコラージュするだけだ。そして年齢を重ねたおかげか、いまは真似するって感覚もなくなってきた。自分のしたいようにする。なんだか自分の変化を認知できてうれしい。

イタリア・ベルガモ/46歳