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    風早草子

    風早草子
    カザハヤソウシ

    関税

    高三になった次男に「関税って英語で何て言うか、知ってる?」と聞いたが、知らなかった。私は中学生の頃からそれが「tariff」だと知っていた。なぜかというと、当時はニュースで耳にタコができるほど「GATT(ガット)関税と貿易に関する一般協定」という言葉を聞かされていたからだ。GATTって何の略?と調べると、General Agreement on Tariffs and Tradeだった。それでなるほど、関税はtariffなんだ、と覚えていた。

    GATTとは、簡単に言うと、各国の関税を引き下げて通商の自由化を進めようという交渉の枠組みみたいなものだろうか。保護主義とかブロック経済が大戦の原因の一つになった反省などから推し進められたもので、主導したのは当然アメリカだ。西側陣営の強化と結束を促すような意味も当然あったのだろう。今はWTOになっている。

    ただ、戦後の経済発展で複雑化する世界の中で、通商自由化というのはさまざまな要因と各国の思惑が錯綜し、とても時間がかかった。知的財産権とかダンピングとか、非関税障壁とか。私が学生の頃は、GATTウルグアイラウンド交渉、というのが延々続いていた。GATTの大きなテーマの一つは農業分野で、日本は米の輸入を迫られていたわけだ。「例外なき関税化」とか言われて。現在のコメをめぐる状況を見れば分かるように、コメすなわち食糧というのは、ちょっと量が足りなくなると、すぐに価格が跳ね上がり、騒動になるものだ。だから各国とも安全保障の観点から、慎重に管理している。日本の場合は、いわゆる旧食管法、「食糧管理法」というものがあった。

    1991年に札幌にディレクターとして赴任して以降、なぜか私は農業の番組を多数制作していくことになり、農業、農家、農協、米の流通、そして食管法などを必然的に学んでいかざるを得なくなった。その中で、当時先輩に教えられたのは、「食管法の意味は、食糧という漢字を見れば分かる」という話だった。食料ではなく食糧。糧は、分解すれば、「米の量」だ。つまり食管法というのは、米の量を確実に確保して、米が食べられない国民が出ないようにしよう、という法律、仕組みだ。だから、米は米であり、それにおいしいとか、不味いとか、優劣があるというような概念が基本的にはない。農家が作った米は政府農協が全量買い上げて、国民全員に不満がないように売る。それだけだ。そういう精神の元、国は消費者に売る値段より高い価格で農家からコメを買い取る、という生産者米価の逆ザヤの政策も続けてきた。私が子どもの頃は、政府が生産者米価を決める大詰めになると、全国の農家が国会周辺にむしろ旗を掲げて集結して、政府に圧力をかけるというニュースが毎年流れていた。農家人口がまだ多く、地方の農村に自民党が支持基盤を置いていた時代、農協組織は圧力団体として強力だったのだ。農業の衰退と過疎化が進行した現在は見る影もないが。ただ食管法の制度は、私が小さい頃にもう時代遅れになっていた。食生活の多様化で、コメばかり食べなくてもパンやピザやスパゲッティーがあるので、米の消費が相対的に減少していったからだ。そして米にしてもよりおいしいササニシキなどに人気が集まり、食管法に矛盾する自主流通米という仕組みも始まった。高い生産者米価で農家の作付け意欲を高める一方で消費が減れば、当然米は余り、政府が高い米価で買い取った米の備蓄は積み上がってしまう。

    食糧というのは、少しでも足りないとパニックになるが、価格が半分になったからと言って、人が2倍食べるものではない。なので、足りなくならないようにマージンを取って生産していけば在庫が増えていくのは必然で、実はこうした悩みは世界各国共通だ。こうした中で多くの国がとった方策は、国が補助金をつけて、安く海外に売って在庫を処分するという方法だった。輸出補助金というやつだ。GATTの農業をめぐる交渉の中ではこれも大きなテーマになっていた。ただ日本はこの輸出補助金をいう手法は取らず、全国の農家に等しく減産を迫る減反政策という方法をとった。おいしい米が取れる産地であれ、不味い米の産地であれ同じ、優秀な専業農家も兼業農家も同じ。地域に割り当てられて減反枠は絶対で、もしこれを破って多く作付けをする農家が出た場合、他の農家が植えた稲を収穫前に「青田刈り」して、辻褄を合わせる、という大変日本らしい陰湿な連帯責任が農村には押し付けられた。長い目で見て、農業の閉塞感を高め、衰退につながるものだったと思う。ただ高い生産者米価で買い取っていた日本の米をさらに海外に安売りするためには、財政的負担がさらに大きくなるため、輸出補助金というのも日本には難しかったのだろう。ただ一方で農水省は、米の消費拡大キャンペーンみたいことに多額の不毛な予算も使い続けていた。米をめぐる政策は長年、迷走を続けているのである。

    しかし結局、GATTウルグアイラウンドの最終的な妥結で、日本は米開放を、限定的ながら飲むことになる。ミニマムアクセスというやつだ。1993年12月、時の細川首相が例のプロンプターを使った会見で話したやつだ。ただ折しも1993年は何十年もなかった久しぶりの大凶作で、平成の米騒動となり、タイ米の緊急輸入とか、大騒動になっていく。私も農家、農協、全農、米の卸商社、米屋、スーパー、雑穀取扱業社の間を取材で走り回っていた。挙句の果て、「GATTウルグアイラウンド終結 どうなる北海道農業?シリーズコメ」みたいな番組まで作った。テーマが大上段すぎると思うが、当時、とても注目が集まっていたのだ。ただ、取材すればするほど実感するのは、コメをめぐる状況の「複雑さ」だ。農村にいけば、農業委員会とか、土地改良区とか、農業共済組合とか、知らないものが次々出てくる。知らないでは済まないので、全部学んでいくしかない。

    そしてコメと一口に言っても、当時の北海道米が置かれていた状況。作付け面積、収穫量は多いものの、寒冷地である北海道はコシヒカリのようなおいしい品種の米は作れず、まさに量を合わせる低品質の米の産地とされていた。だが当時、その救世主として「きらら397」という品種が登場して、おいしい北海道米として人気を博し、作付けも増えていた。牛丼の吉野家が採用したことも知られている。ただそれでも地元の情報番組で料理専門家が「炊き立てはおいしいですが、冷めると味が落ちるのでおにぎりなどにするなら、コシヒカリなどを使う方がいいでしょう♪」みたいに堂々と言っていた。ちなみに397という数字は、開発した農業試験場で付けられた系統番号だ。きらら397は上川農試で開発されたので、元は「上育397号」だった。北海道の米は空知農試で作れば空育125号とか、そんなネーミングだったのだが、あきたこまちの成功などに習い、愛称が付けられたのだ。

    だが、当時実際の北海道の米の現実はとても残念なものだった。取材先の農家に「うちの米はうまいから夕食食べていけ!」と言われて炊き立てのご飯をご馳走になったこともあった。しかしこれが食べてみると、とても「おいしい!」という感想が口をついて出てくるようなものではなかった。もちろん米は米でなので、残さずにおかわりもしていただいたが、子どもの頃から家で母が買ってくるササニシキとかコシヒカリを食べてきたからなのか、本当に全然おいしくなかった。大学の学食の米より味は下だったかもしれない。この農家の人は街で売っているおいしいと言われている米を食べたことがあるのだろうか?という疑問を感じたことを覚えている。

    まあしかし、そういう北海道の産地であっても、米が余っていた時代も作付けを許されていたのは、悪平等?の減反政策のおかげとも言える。とはいえ、北海道米と一口でくくるのも実際には大変乱暴な話で、同じ町であっても、土壌が泥炭地か、砂地か、など土地条件によって品質や収量はかなり違う。事情は複雑なのだ。

    ツラツラと長い思い出話を書いてしまったが、要は世の中はとても複雑だということが言いたいわけだ。そうした中で、かつてGATT体制で世界の関税引き下げと通商自由化をリードしたアメリカが、関税引き上げという真逆の方針を示している。アメリカが、というよりトランプが、と言うべきだろうか?

    シンプルに言うと、トランプと彼の支持者たちが言いたいのは「アメリカは損をしている」ということだろう。そういう面があることは確かだとも思う。ただ、ここまでに至る経緯は当然複雑なことの積み重ねだ。それを解消するためには、複雑さを面倒がらずに、複雑さに真摯に向き合う必要があると私は思う。だがトランプとその支持者には、どうしてもそういう真摯さが感じられない。そして最近ネットに流布するわかりやすい解説も、同じように思えるものばかりだ。

    この複雑のジレンマ、というのは、報道やコンテンツ制作に携わる者の永久の悩みだ。複雑な話は見てもらえない、理解されない。しかしわかりやすくすると、嘘の濃度が高まってしまう。

    しかし今、ネットというまだ規制がかかっていない新たなメディアによってわかりやすい出鱈目が量産されて、それが実際の政治に影響を及ぼしている。ヒトラーにかつて突かれた選挙制度、民主主義の脆弱性がまた、大きな問題として浮上している。

    何をすべきか、一人一人が真剣に考えなければならないが、とりあえずうちの子どもたちには、世の中の複雑さを教えていきたい。

    *なお、この文章はあくまで個人的日記として書いたもので、GATTや農業に関することも私の記憶による。性格な資料にあたって確認までしていないので、事実と異なる部分があるかもしれません。報道目的のものではない、ということでご容赦ください。

     

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/57歳

    ©30YEARS ARCADE