unagi – eel
みんなの鰻の写真に食欲をそそられ、友人と彼女の大学生の息子君、母とソフィの5人でランチ。 わたしの地域では、ひつまぶしで...

Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2024年11月29日
キリストが初めて言った言葉が「何をさがしていますか?」だということを聴いた。
教えや知識ではなく、“問い”だった。
わたしはキリスト教信者ではない。あえていうなら、「行事だけやる」仏教徒に分類できると思う。
イタリア人の夫や彼の家族は、みんなキリスト教、なかでもカトリック教徒である。生まれたときに洗礼を受け、ずっとジーザスを信じて生きている人たちだ。ちなみに、イタリア人の90%以上がカトリックだと言われている。ローマ法王がいるバチカンのあるお国だから、そうなるんだろう。
娘のソフィは、洗礼は受けていないけれど、カトリックの教えに基づく学校に通っている。洗礼を受けていないので厳密には無宗教だけど、学校での教育やイタリアの家族からの影響で、たぶん信じているんだろう。それは、彼女の信じることなので、わたしにはどっちでもいい。
この国では、7歳になる学年から、教会でボランティアが主催するカテキズモとよばれる活動に参加し始める。もちろん、強制でもなんでもないので、行きたい子がいけばいい。まあ基本は、行かせたい「家族」の選択だ。
日本でいえば、昔の「寺子屋」みたいな活動と言えるだろう。ボランティアが、こどもたちにキリストの教えを伝えるような活動をする場だ。まだ小さい子どもたちなので、絵を描いたりみんなと話をしたりするなかで、自分のこと、まわりの人のことを知る場だともいえる。
その家族の集まりがあり、100%カトリックの人たちの中に、仏教徒のわたしがひとりだけぽつんと混ざって、95%くらいの濃度に薄めた感じになっていた。子どもに向けたミサが開かれ、そこで神父が子どもにもわかりやすい言葉で、冒頭の問いにつながるストーリーを伝えたのだった。子ども向けだったので、イタリア語がよくわからない私にも、ちゃんと伝わった。
わたしが初めてイタリアに来て夫の両親と会ったときに、義母であるマンマに聞いたことがある。「わたしは仏教徒だけど、ミサに行ってもいいの?」
すると彼女は「教会の扉はいつも開いているから、誰でも来ていいのよ。仏教は、生き方であり、哲学よね。わたしは好きよ。」と言った。
仏教をフィロソフィーに例えたマンマだが、この問いは、わたしにとってはフィロソフィーだ。
何を信じるかは、人それぞれ。でも、根っこのところでは、ちゃんと繋がっている。
わたしは、何を探しているのか。あなたは、何を探しているのか。わたしたちは、何を探しているのか。
そこに立ち戻れば、こころおだやかに、迷いがなくなっていくんだろう。
題名にした、che cosa cercate? は、イタリア語で「あなたたちは、何を探しているの?」主語があなたたち、となっているのが興味深い。正確には、主語は省略されているのだけど、動詞が主語に対応して変格することで、主語があなたたちだと分かることになる。
これが英語になると、youになって、単数なのか複数なのかがわからない。あなたも、あなたたちも、どっちも有り得るところがまた面白い。
そして日本語はさらに面白い。主語が無くても通じてしまう言語だからね。どんだけ読み解きが深い人たちなんだろう、わたしたち日本人って。そんなことも主題になっていたドラマのSilentを思い出す。

イタリア・ベルガモ/46歳