shrink
10日ぶりの保育園。朝6:30に目覚ましをして、6:50にのそのそと起きた。子どもが起きてくるまでに朝ごはんをつくり、自...

浮記
ウキ
2026年3月14日
猫2匹と暮らす、という幸せな時代があった。それは2015年2月25日で終わってしまった。
2010年まだ保護猫という選択肢をしらなかった我が家はぺットショップでロシアンブルーの子猫をむかえた。そのころわたしは精神を崩して入退院を繰り返し生活がままならない状態。両親もそのケアで疲弊していてどん底。自分でいうのもなんだけど、あきらかに“第三者”が必要だった。
むかえた子猫は期待通り家族に圧倒的な光をもたらしてくれた。と言っても両親は本当に飼うつもりはなかったらしく、とりあえず屍みたいなわたしを少しでも外に出す口実として近くのペットショップに行っただけだったらしい。でもほんと抱っこしたら最後なのよ、猫好きのわたしはもちろん、猫より犬派の父もペット飼うのはNGの母も、ほわっほわの子猫パワーにやられて2回目見に行ったときには連れて帰る約束をしていた。当時わたしは稼いだお金をVivienne Westwoodに費やしていたので名前はviviになった。ヴィトンちゃんとか犬に名づける人をどうかと思っていたけれど、やっていることは同じだ笑
2011年もわたしの心身は最悪で、でもどうにかちゃんと生活を成り立たせようと頑張っていた気がする。そんな中どちらかというと両親の勢いで2匹目の猫がやってきた。名前もいつの間にか決まっていて、柄と父のすきな雑誌からレオンと名付けられた。身体は元気だけれど人気がなかったのか、少し大きめのその猫はベンガルというワイルドな猫種のはずなのに、模様は成長するにつれて野良ネコちゃんと大差がなくなり、女王様キャラの先住猫にちょっかいをだすので、いつも怒られていた。それでも動じないカワイイ弟キャラで、わたしの心身も回復していき、我が家は猫たちのお陰で明るかった。viviは神様みたいな猫で、何かあるといつの間にか横にいて喉をならしてくれた。いつもは一人がすきでベッドの下にいることも多いから埃のにおいがする猫だった。強い眼でこちらをジッとみて強いパワーをくれることもたくさんあった。抱っこが好きで、疲れておろすとキレて噛みついたり、嫌いな人間には威嚇するような猫だったけれど、この世のすべてを知っているような雰囲気があった。二匹が抱き合って眠る、みたいなことはなかったけれど、広くない家に二匹ふらふらしているってのは人間からしたら最高だった。
2015年の2月25日、仕事終わりにひとりZAZEN BOYSのライブに六本木に行っていた。帰宅すると玄関先で「落ち着いて聞いてほしいんだけど」と言われた。viviが死んでいた。母が仕事から帰ってきたときにはもう冷たくなっていたらしい。母は慌てて父に連絡して、いつもの病院に連れて行って死が確認された。解剖をしないとわからないけれど、おそらく心臓発作で死後のようすから痛みもなかったでしょう、とのことだった。
わたしはviviが死んだという事実と、死んだことを知らずにひとり楽しくライブに行っていたという事実と、両親が自分に知らせてくれなかった怒りと、今までの日頃の行いがそうさせたのだという自分への怒りというか情けなさで頭がおかしくなりそうで、ひたすら泣き続けた。
比べようがないしviviに救われたのは家族全員だけど、viviと過ごす時間が一番長く、病んでいたわたしを支えていた母が一番癒されていたから、わたし以上に哀しかったと思う。亡き姿を見つけたのも母だし。その哀しみは今でもそうだ。
仕事中も涙が止まらないことが続いたけれど、ありがたいことに当時の職場は全員ペットを亡くした経験があり、全員が温かい言葉でフォローしてくれた。本当にありがたい環境にいたとおもう。お葬式の日がやってきて彼女が焼かれるとなったとき、やっぱり受け入れることができなくて抵抗したのを覚えている。焼かれた後きれいに残った骨を見て「若くて健康だったので、とってもきれいに残っていますよ」と言われて「ふざけんな」とも思った。だったらなぜ死ななければならなかったのか、不自然なことを美しさに変換しないでほしい、と。当時なぐさめてくれる人の言葉にたいしても似たような気持ちになった。
レオンはviviが死んだとき、なーんもわかっていない様子だった。うろたえるわたしの足元で遊んで遊んで!とおもちゃを持ってきたりしていた。そんな彼のおバカキャラみたいな性格に家族全員が癒された。でもviviの遺骨が家に来てから、遺骨のそばでずっと香箱座りをしたり、死んだことがわかってきているように思えた。今までそんなことをしなかったのに、viviがそうしていたように人間のように枕で一緒に寝る日もあった。だんだんとやんちゃさがなくなり、甘えん坊になっていった。viviの高貴な性格までは引き継がれなかったけれど、確実におバカキャラから人に寄り添う犬みたいな性格になった。小さい頃から食い意地のせいでお手ができる猫だったけれど、賢さ0、でもやさしさ100みたな猫になった。わたしが家をでて、決して夫婦仲がいいとは言えない両親はレオンのおかげで今があると思う。
そんなレオンももう15歳。すこし前から病気がみつかったりとすっかり老猫だけれど、いよいよ食欲が落ちてしまいやせ細ってきている。今日は両親が帰省しているので、ごはんをあげに実家に泊まることになった。
実家をでてからのレオンとわたしは疎遠になってしまい、たまに帰っても父と母にべったりでわたしは完全にただの来客だった。抱っこ嫌いなレオンを抱っこして嫌がられて終わり、みたいなことが続き、子どもが生まれてからは実家に遊びに行ってもせわしなく、レオンには行きと帰りの挨拶だけになった。触れない日もあったかもしれない。
やさしいやつだから子どもに何されても威嚇なんてもってのほか、されるがままのお爺さんは、両親不在だからなのか今日はわたしに甘えてきてくれた。わたしがベッドで横になっていると、わたしの周りを何周もうろうろして自分のポジションを見つけるとほぼ乗っかってるという状態で寄り添ってくれる。なでまくると嬉しそう。この、自分の周りをウロウロするという甘えの前兆が久しぶりすぎて、始まったとたん「おっ!!!」となった。もはや忘れていたこの行為。猫好きとしては早く早く~と焦らされる気持ちだけどここで触れてしまえば華麗にベッドから降りて違う部屋に行ってしまうでしょう。とにかく待つ。待てたらご褒美のはじまりなのだ。
花粉症の薬が効いているせいもあるのか猫に顔をうずめてもくしゃみひとつでなかった。こんなの久しぶり!と猫吸いを繰り返しただけでわたしの胃腸が動いた。リラックスの証。猫に埋もれているだけで、やったことないけれどクスリが効いてきたみたいにとろんとしてくる。すべてがどうでもよくなって眠くなる。この感じも久しぶりで、猫と暮らしていた幸せな日々について頭を巡らせていた。子どもは猫をなでなでできたことがうれしくて自分が猫になってしまい、家中をテンション高くハイハイしていた。わたしは猫に埋もれたままこの時間がずーっと続きますように、と思った。
ごはんをあげていると、あの食いしん坊のレオンが半分残すこともあって心配になったけれど夜中4時半にレオンがわたしのところにやってきて猫ドリルをはじめたので安心した。夜中お腹がすくと泣き喚いてごはんをねだるのだが、わたしが爆睡していたせいか猫ドリルつまりものすごい力で頭をぐりぐりさせ、それも効かないとなると髪の毛を歯でひっぱるのだ。これがまー痛い。飛び起きてごはんをあげるとほぼ完食。まだまだ生きてほしいと思ったけれど、まだまだ生きてくれるはず、と思った。久しぶりに猫と過ごした夜。
猫との暮らしは最高だ。わたしも猫アレルギーになってしまったし、夫はアレルギー体質だし、子どもその兆候がある。だけどそんなの関係ないくらい、猫との生活は最高だ。ああ猫と暮らしたい。
わたしたちは死んでしまったviviの命日を忘れるようになってきた。お互い2.3日経ってから「わすれてた!」と連絡しあう。でもいまだにviviの高慢チキ子っぷりの想いで話で腹がよじれるほど笑うし、母はロシアンブルーのグッズを見つけると「viviがいた」と遺骨のまわりに飾る。
いのちの重さに違いはないけれど、動物の死について人間と同じように語ると引かれることもある。たしかにわたしも動物の死について、特に野生の動物の死はもっと自然界のルールで考えるべきだと思うし、ペットとの関係もなるべく自然体でいたいとは思っている。そう考えられるようになったのもviviの死を経て、わたしの病気がものすごいスピードで寛解したからだ。いまだに思考のクセはあるけれど、目の前にあるすべての物事が怖くて信用できなくて宇宙から放り投げだされる感覚に陥っていたわたしが、生と死についてすこしだけ軽く考えられるようになったのはviviのおかげだと思う。いずれレオンが死に、父も母もいなくなる。この順番が前後したり、理由が事故だったり自殺だったり、はたまた災害だったり戦争だったり、それによってまた話は変わってくるのだろうけれど、すべてのことは理由もなく起きる。だからこそ今をちゃんと生きなければならない。わたしはいつ死んでも後悔のないように、だれかとあいさつするときは必ず最期のお別れでも悔いがないように気持ちをこめること、というのを心掛けていたのに、さいきんまったくできていなかった。A.M.5時にカリカリフードをむさぼり食うレオンの姿を見て、もっと今を生きなきゃと思った。

埼玉県さいたま市/36歳