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    すべてのものは自分の表現

    夜、義父のめまいは単なるめまい症ではなかったと義母から連絡があった。

    何故昨日のわたしは「めまい症と似ている病気で〇〇というものがあります。〇〇という違いがあるので、その場合は早めの服薬で症状が回復することもあるので受診してください。GWですが〇〇なら空いているので代わりにわたしが予約とりますよ」って言えなかったんだろう。すごくシンプルなはなしなのに、お節介を天秤にかけてわたしはわざわざ送信取り消しまでして義母の気持ちを尊重することを選んだ。命にかかわる病気ではないけれど辛そうな義父のようすと疲弊してそうな義母のようすを思うと、次からはバウンダリーがどうのこうのではなく、自分がしたいことをしよう。サイコさん、勇気づけられることばをありがとうございます泣

     

     

    今日はめちゃくちゃ楽しい日だった。ただ楽しいだけでなくここ数年でターニングポイントになりそうな感情の起伏がおきた日だった。ほしばさんと過ごした1日のこと。

    まず、待ち合わせしてすぐ訪れた「日記屋 月日」が想像以上に良くて。“この世は生きている間に追いきれないほど面白いモノであふれている”と思わせてくれる場所がすきだから、たとえ購入にいたらなくても空間として本屋さんがすきなんだけれど。狭い店内のレイアウトがいいのかな。そのあと行った同じボーナストラック内にある「B&B」ももちろん良かったんだけど「日記屋 月日」で見かけた本を「B&B」で見たとき、「ああさっき見たから気づけたけれど、ここでは埋もれて手に取れなかったかも」と思っちゃうほど「日記屋 月日」では一冊一冊がキラキラ輝いて見えて、宝探しのように今日は買っちゃうぞスイッチがはいった。ほしばさんとこうやってでかけるのは初めてだったけど、同じ感じでスイッチが入っていたので、そりゃあ何買ったか聞きたいでしょってことでエフェメラ!初採用ありがとうございます♡

     

    スイッチはいったことで涼しい日だったというのに興奮で汗ばんでしまったけれど、冷静に自分にとって大事なことに気づけたのは「B&B」にいるときだった。

    さいきん、ひとりでいても誰といても自分がずっと混乱の中にいる感覚がある。日記の内容も自分ではそう思うし、普通に朝から晩まで脳内がカオスだ。だから一人でいるときは強迫観念のようにAIを使ってなんとか整理しようとしてしまうし(特に子育てとか自分の健康とか)、誰かと話すとよりその混乱が明白になって落ち込むことが多い。

    イメージ、昔は脳みそなのか、こころの中にポッカリと大きな穴があって、自分にとって良い映画や音楽やことばに触れたとき、それがその穴にスコーンとはいってきてパッチ加工のようにその穴(なのか傷を)埋めてくれた。稲妻にうたれたように一発でキレイに治るかんじがしたのだ。だけど今のわたしの脳みそに大きな穴はなくて、元気で満たされているけれど、よく見ると網目のようになっていて細かい穴がある感じがする。それもぐちゃぐちゃに絡まっている。だから救われるようないいものに触れても、大きな衝撃を受けることは減っていき、その小さな穴をなんとなくすりぬけただけという感覚がある。つまり小さな傷がたくさんあるのにまったく癒えていないような。

    だけど今日、長いこと本屋にいて、ただ陳列した本を眺めたり手に取ったりしているだけで、その穴がちくちく縫われているきがしたのだ。自分の頭の中にある興味関心・心配事そういうのが整理されて混乱が収束されていく感じ。シンプルになっていく感じ。それはわたしが本や映画をとおして世界を知っていったからなのかもしれない。多くのひとが、じっさい社会にでて、ちゃんと人と関わり合って得た経験で世界を知っているとしたら、わたしは長いこと架空の人物に身をゆだねて世界を知った気になって、ようやく社会にでられるようになった、という人間な気がする。だからいつまでたっても世の中が怖くて、フィクションの世界に身をおくことで安寧が得られる。解っていながら、さいきんそういう時間を自分のために摂ることができていなかったけれど、それがいかに自分にとって重要なのかを思い知らされた気がして。ただ本屋にいるだけでこんなに癒されるのだから、もっと自分のすきなことをちゃんと真剣にやらなきゃいけないと思えた。

    そのあと行った民藝館でも似たようなことを思った。「民藝の100年」に行ってからずっと行きたかったので念願の民藝館。そのときのことは当時の日記に残したからよく覚えているのだけど、やっぱり“直下にものを観る”ことの大切さ。そして「B&B」での脳みその修復が行われたおかげか、“すべてのものは自分の表現”とか河井寛次郎のことばがダイレクトに伝わってきて逆にちょっと放心状態…..。

    カフェでもなんでも好きなものばかり食べられた1日でもあり、もうほんとにお腹いっぱいの1日。とくにほしばさんが教えてくれた餅屋の出来立てピーナッツ大福のおいしさといったらね!ふたり歩きながら美味しい美味しいと食べたのだけど、この塩っ気のある甘さがほしばさん好みなことを日記をとおして知ってるっている関係(?)が、なんだかうれしかったし。

    もちろん冬春のはなしも。欲を言えば、ちゃんと観なおしてもっーーーーーーーーーーーーと語りたかったけれど、ここでも混乱気味の支離滅裂な感想になっていたのがちょっと悔しい。もっと話したいこと、冬春のほかにもたくさんあったのになぁ。これはレシーヘンさんも言っていたように、リスナーとしての緊張が邪魔していたってことで。でもそんなの忘れちゃうくらい、ほしばさんはあったかくてやさしくて小旅行みたいでほんとにたのしかった。興奮して話すとすぐ適当な道をすすんでしまうところを、たくさんリードしてくれてありがとうございました♡

    あ、ふたりでも「ほんとうのこと」について少しはなしたけれど、やっぱり他者の眼があるのとないのとでは多少は言い回しが変わってしまうかもしれないと思う。でもわたしはもっとシンプルになりたいという思いとはべつに、混乱していることを隠したくないし、コンパクトにまとめようと思えば短く書ける感情でも長々と記しておきたいとおもった。噂の本は読めていないけれど、自分の場合はこのやり方(?)で、ほんとうのことを書けている気がする。たぶん。どうかな。ほしばさんと話している時はまだ見えていなかったけれど、今日の日記を書いたらそう思えたかな。

     

    帰宅してうれしかったこと。今日のお土産だよ!と久しぶりに父子で過ごしたふたりにそれぞれ本を。

    ウキッコにはほしばさんがくれた絵本。も~~~~~これもプレゼントのセンスが良すぎるというか、あったかい贈り物だったんだけど、大好きな象の本でページをめくるのも面白いやつだからすごい喜んでくれて。夫には「日記屋 月日」で選んだ本を渡したんだけど、まさかの欲しかったやつ!!!!すかさず「わたしさすがすぎない?」って自画自賛。夫婦ふたりで話すとウキッコが割ってはいりがちだから感動を分かち合いづらかったけれど、喜びは夫の表情からじゅうぶん伝わってきた。出版社自体が気になっていて、仕事中にメモしてた本なんだって、そんなの嬉しすぎる!

    書き手

    migiwa

    migiwa

    埼玉県さいたま市/36歳

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