素直がいちばん
スナック全盛期を支えていた祖母。 「お酒以外でどうやって稼ぐの?」と聞くと、「これは・・・・・・絶対に・・...

もしもし五島列島
モシモシゴトウレットウ
2026年5月24日

愛犬の足を拭くたびに思い出すことがある。
親戚のおばあちゃんの家に遊びに行った時のことだ。
そのおばあちゃんも犬を飼っているから、「家に入れていいよ〜」と、ものすごく寛大に私の愛犬を迎えてくれた。
だから私は、「ちょっと足だけ拭きますね」とタオルを持った。
するとおばあちゃんが、「犬慣れてるから私がやるよ」と言って、愛犬の足を拭き始めた。
その瞬間、私は衝撃を受けた。
想像の50倍、強く、激しく、長く拭いている。
いや、確かに家に上がるんだから、ちゃんと拭きたい気持ちはわかる。
わかるんだけど、そんなに汚くないよ!?と思った。
なんかもう、雑巾がけみたいだった。
犬の足を拭いてるというより、年末の大掃除みたいな勢いだった。
でも、おばあちゃんからしたら、それが普通なのだ。
床を汚さないように、ちゃんと綺麗にしたい。
その気持ちは当然だ。
だけど私は、「そこまで汚くないのになあ」と思ってしまった。
たぶんそれは、愛犬だからだ。
愛情って、汚さに勝つ。
だから私は、愛犬の足が多少泥ついてようが、毛に草が絡まってようが、全然気にならない。
なんなら肉球の土ですら、ちょっとかわいい。
あと、愛犬のにおいにも完全に慣れてしまっている。
だから、しばらく家を空けて帰ってきた時に、「あ、犬のにおいする」と感じると、ちょっとびっくりする。
お、お前、犬だったんだ……って。
普段は「犬」として見てない。
ただの尊い存在として扱っている。
子どもも、たぶんそうなんだと思う。
子どもが汗だくだったり、よだれを垂らしたり、妙に子どもっぽいにおいがすると、たまにびっくりすることがある。
「あ、この生き物、ちゃんと人間の幼体なんだ」って。
そして時々、子どもの汗やよだれを、ちょっと苦手だと思ってしまう自分もいる。
そんな時、自分って小さいな、と思う。
だけど、それは愛がないというより、まだ「かわいい存在」として見ている段階なのかもしれない。
子どもを、“子ども”として見ている。
そこにもっと深い愛情が入ると、たぶん、よだれも汗も、泥だらけの足も、全部どうでもよくなる。
人って、そういう生き物なんだと思う。
愛って、衛生観念とか理性とか、「普通はこう」みたいなものを、平気で飛び越えていく。
だから、親が子どもの鼻水を素手で受け止められるのも、犬の肉球を「いい匂い〜」って嗅げるのも、たぶん全部、愛の過剰さなのだと思う。