LIFE IS HARDだけどHAPPY
なつかしい言葉を思い出した。2002年の映画か、中学1年生か。 小学校3.4年生の時、同じマンションの親友がいた。2人だ...

浮記
ウキ
2026年7月25日
昨日の日記をかいて、さて寝ようかと思ったけれど、さすがにまだ眠れんと数日前から読み始めた『ニシハラさんのわかりにくい恋』の4巻をよみはじめた。
1~3巻をよんだときは「もっと身近にいるひとを大切にしよう」と思った。ニシハラさんの「すき」と「たいせつ」の違いが夫の考えと同じだったからで、あらためてそう想えるのは貴重だと思ったからだ。ちなみにわたしのなかでは人にたいしてもモノにたいしても「すき」と「たいせつ」は同義だとおもう。
けど4巻を読み始めたら予想外の展開、今朝ちょうど夫にこの漫画を紹介するときに「でも漫画にしては文字数おおいからおすすめしにくい」と玄関で伝えたばかりだったのだけど、その文字数、つまり主人公の思考がわるい方向へとすすむ話だったからだ(文字数が多いとは、わたしは漫画を読むのが異常にはやく夫は異常におそいため、ただでさえ読む暇がないというのに速度が違いすぎて話が嚙み合わさなくなるという懸念から)。
結局そのまま5巻まで読んで物語はおわった。そのころには鎮痛剤がきいてきて、眠れもしたし、一歩ふみだすこともできそうだった。それで結局ニシハラさん家の力を借りて、早朝散歩にでかけた。
なんとなく『恋は桃色』をききながら歩いた。さいきんはPodcastも聴けていなくて音楽はもっと聴けていなかった。イヤホンが断線していて左耳からしか聴こえないからか、一人暮らし(友人とルームシェア)時代に、この歌をうたいながら散歩したことを思い出した。夫がベースラインをボイパみたいに歌って、わたしは歌詞のメロディ。場所は目黒~渋谷とかわたしの住んでいた学芸大学~三軒茶屋~松陰神社とか。同時に朝4時だったから、妊娠中暑くて早朝しか散歩できなかった頃のことも思い出した。それはいまと同じ場所。だからこそ♪ここが どこなのか どうでもいいことさ~どうやって来たのか 忘れられるかな~が面白くって、途中からはたまーに通りかかる犬の散歩じいさんばあさんを無視してなかなかの声で歌いながら歩いた。目をつむりながら歩いたりもした。ものすんごい坂であえて走ってみたりもした。自分で自分が笑っていることにも気づいた。
わたしには散歩の時間がひつようだ、と自覚していたけれど、その時の感情に合う音楽を見つけられたとき、わたしは最強だ!
ひさしぶりにわたしは最強だ!と思えてうれしかった。
子どもがいると、当たり前だけれど、目をつむって歩けない。車が通らないからという理由で車道を歩けない。急に走り出すのはいつも子どもの方で、わたしは止める係だ。
たぶん、ほんとうは目をつむって歩けるし、車がいないなら車道を歩いてもいいと思う。だけど親モードになると、まだ2歳だと、そんなことはできない。主人公は子どもなのだ。
久しぶりに散歩をして、自分が主人公になれて、無敵だと思えた。
もっと不真面目に、自由でいたいと思えた。保活も就活も引っ越しも、当たり前なのかもだけど自分のためではなく家族がどう回るかの最適解ばかり考えていたから「ふざけんな!そんなもん知るか!」と思うことができた。自分勝手な自分らしく。
誰かに良いアドバイスをもらっても自分にとって不要なアドバイスならば「うっせー知るか」と心に中指たてるのが本当の自分だ。だけどいつの間にかすべてに対して「ハイ、すみません、おっしゃる通りでございまして、そのように改善いたしまする」となっていたのは何故なんだろう。親モードがそうさせるのか。親モードになったとき、二重人格のように私はどこか遠いところへ押しやられてしまうのか。両立はできないものなのか。自分のいまのパフォーマンスに自信がないからなのだろうか。
自信があろうがなかろうが、ワタシはワタシで、それだけで最強なはずなのに。何度も書いている『はみだしの人類学』にあるように、本当の自分もなにも、どんな顔の自分も自分なんだしね。
漫画の力を借りて一歩踏み出して早朝散歩にでられたように、一歩踏み出せばプールにも行けるかも。浮いて力をぬいて漂っていたいと去年も思って日記を書き始めたのだった。ゴールをめざすのではなく。最適解をみつけるのではなく。まあおんなじことを繰り返してばかりだよなと思ったら1月にもこんな日記を書いていた。そんでこのシート、今見ても良いな、またやろう。
憶えているうちにメモ。昨日ウキッコがアイスを食べているとき、1/3くらいをポタッと床に落としてしまった。
ヤッべ癇癪おこすぞ?と見ていると自分から「蟻さんが食べるから大丈夫だよ!」と言った。つづけて「蟻さん?鳥さん?鳥さんも食べるかな?」と。
ここは家の中なのよというのはさておき、今まで好きな食べ物をポロッと落としてしまうたびこの世の終わりみたいに泣くので「蟻さんへのプレゼント、蟻さんがラッキー!ありがとう!」って言ってるよ。と伝えていたのだった。
親とまったく同じ考えである必要はないのだけれど、こういったイズムが引き継がれているの目の当たりにすると驚きの方が勝つ。自分の影響力といい。
だからこそあまり気を張らず、親モードに偏らず、自由な自分でいたいと思った。

埼玉県さいたま市/37歳