chestnut
栗の季節。わたしは岐阜県の出身なので、中津川のくりきんとんが恋しい。しっとりしていて、キメが細やかで。やわらかい舌触り。...
Sophy's philosophy
ソフィーズフィロソフィ
2024年7月9日
信じるものがあるとは。
それがあると、なんになるのか。
自分にとって、信じるものがあると、どうなるんだろう。
わたしが信じるものは、何なんだろう。
信じたいものが、あるのかしら。
そんなことを感じた長崎、五島の旅だった。
考えた、っていうより、感じたのだ。
誰かがこのチャーチを作り、祈り、守りたかったことは、何なんだろう。それを、感じたかった。
いまでは世界遺産となった教会と集落。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、2018年にUNESCOに登録された世界的にも稀有な信仰の歴史なんだそうだ。
カトリックの本地本国に住んでるのに、自分が産まれた国で同じように信仰を続けている人びとや地域があることを、正面きって思い馳せたことがなかった自分に、はたと気づいた。
隠れキリシタン、と名付けられたのは、教科書の中のどこかの誰かのお話ではなくて、この僻地に移住し、自分たちの手で教会を作り、祈り続けた人たちのことだ。
わたしはなんちゃって仏教徒で、娘は洗礼は受けていないけれど、カトリックの小学校に通っている。
学校のシスターの先生に教えてもらったらしいお祈りを、教会の一番前の椅子に座り捧げる娘の背中を、わたしはいちばん後ろの椅子から見守っていた。
ひとつだけ確信めいたものに気づけた気がしている。信じるものがあると、スッとこころが軽くなる。
自分が、自分だけでないことに認知が及ぶ感じかな。
信じることを制限されない場所に生きられていることに感謝する時間だった。
イタリア・ベルガモ/45歳