1月も今日で終わり
今朝長女が朝の番組をみて「野菜高いから、...
P.S.
ピーエス
2025年3月12日
火曜、あの日から14年。
毎年のようにその日のことを思い出す。今の事務所に移転する前の事務所で、とても狭かった。あのときも今も桜木町駅から徒歩3分ほどの場所にある。狭い事務所だったので、壁の1面はデスクが並び、もう一方には本棚が並んでいた。デスクで仕事していても、座ったままくるっと振り返れば本が取れる。そんな距離感。
あの日、大学の後輩が午後から事務所に遊びに来ていた。お茶飲みながら話していたら突然の揺れ。事務所が入っていたのは11階建ての7階で、しかも割と細長いビルなのでゆらゆらと長く揺れる。しかもその揺れは大きい。相方と、東北とかの遠いところでかなり規模の大きい地震か?と話した記憶がある。
眼の前のコーヒーカップが倒れるのではないかと支えた次の瞬間、背面の本棚が壁から離れようとしていて、そのままもう一方の手を後ろに伸ばし本棚を支える。狭いことが幸いした。その状態で数十秒だろうか、揺れが収束し始めて少しホッとする。その後すぐに震源や規模についてネットで調べるとかなり大きな地震が東北で起こったと知る。しかし事務所にはテレビがないのでいまいち情報が集まらないし、各地がどんな状況なのかわからない。しばらくネットで情報を探していると広島の中学生がストリーミングサービスを使ってNHKの放送を横流ししているのを発見し、次の瞬間、津波を目の当たりにする。
大学3年生から建築の構造設計に触れ、大学院でも構造設計を主とする研究室に属し、2002年から構造設計を仕事としてきたが、津波についてあまり詳しく教育された記憶はなかったし、建物の構造強度はもっぱら重力、風圧力、そして地震力に対するのが通例である。この理由を映像を見て瞬く間に理解した。到底、建物の強度によって抵抗できるものではない。1m x 1m x 1m、つまり1立米の水は1tの重さがある。津波の奥行き方法はほとんど無限のようだが仮に幅5m、高さ5m、奥行き10mとするとその重量は250tで、しかもこれは静止エネルギーに過ぎない。
そうこうしている間に「帰れるのか?」ということに思い至る。当時、私も相方も自転車で10分程度のところに住んでいたのでそこは心配ないのだが、たまたま遊びに来ていた後輩(当時20代の女性で独身)をどうにか家に帰さねばならない。タクシーに乗せるべく桜木町駅付近を歩き回るがまったく見つからない。駅のタクシー乗り場には長蛇の列ができている。けっきょく、為すすべもなくその行列に並ぶ。しばらくは一緒に並んでいたが、私も家に帰らねばならない事情があったため、無事に帰れるよう祈りつつ離脱。
このあと数ヶ月して石巻の被災したクライアントのための仕事の話がきて、それ以降、石巻を中心に宮城県内で5件、岩手県で1件の仕事に関わることになる。初めて石巻に行ったときには色んな人が色んなところでいろんなものを手ずから作っていて、通りかかるたびにインパクトドライバー持ったり脚立持ったりしてお手伝いした記憶。去年も石巻でお仕事させていただいたけれど、このクライアントは初めて石巻に行ったときにお会いした方で、当時起業されたばっかりだったのだが本社社屋のお仕事だった。感慨深い。
能登はまだ1年。13年後にはどうなっているだろうか。
写真は2012年7月の石巻。