「気にしない、気にしない」
夏が春の前に割り込みしてやってきたみたい...
P.S.
ピーエス
2024年12月18日
火曜、「令和6年度 建築基準法・建築物省エネ法 設計等実務講習会」のため、馬車道にある関内ホールへ。2025年4月1日に改正建築基準法が施行されるのが、これがなかなか影響が大きそうなので聞いておくことにする。これまではある一定規模未満の建物(ざっくりいうと一般的な住宅規模の建物)は構造計算書や構造関連図面の添付が省略されていたが、この範囲を大幅に縮小するというもの。つまり我々構造設計者の仕事がものすごく増える。新規の引き合いも増えるだろうが、既存顧客を守ることを考えると新規の取引はほぼ発生しないだろう。ゼネコンなどの規模の大きい建物を主戦場としている人にはあまり関係のない法改正かもしれないが、弊社は6~7割が住宅及び住宅規模の建物なので影響は大きい。
と、そんな講習会のあと会場を出たところで「田畠さん」と声をかけられて振り向くとK先生(大学教授・木質構造の専門家)がおり、関内駅から移動するというので付き合ってそちら方面に歩く。見送ったあと、事務所に戻るべく歩き始めると久しぶりの「鉄(かね)の橋」。
以前、かきぬまさんも書いていたように、関内という「行政上の地名には存在しない」のだが、このエリアの最寄駅はJR京浜東北線及び横浜市営地下鉄の関内駅である。ではなぜ関内なのか。いわゆる黒船の来航により開港した横浜ではその後、外国人居留地との往来を制限するために関所が設けられ、その海側を関内、陸側を関外と呼ぶようになったことに由来する。この橋(鉄の橋=吉田橋)はその境に位置する。橋より陸側に行くと伊勢佐木町、海側は馬車道である。橋であるのでつまりはその下に川(運河)があったのだが現在は首都高が走っている。
関所が設けられたのは1854年、この橋が出来たのは1869年。ベッセマーが転炉法をつくり、現在の鋼鉄の時代となったのが1856年だから当然この橋は錬鉄である。(現在の橋は5代目で1978年竣工なので鋼鉄製だろう)現存する錬鉄製の最も有名な建造物であろうエッフェル塔は1889年の竣工なのでとっくに鋼鉄の時代なのだが工学的判断によりエッフェルは錬鉄を採用している。吉田橋を設計したのはスコットランド出身で明治政府に灯台技師として雇われていたリチャード・ブラントン。私の師もロンドン出身のエンジニアなのでなにか親近感が湧く。繋がりはないけど師の師であるような気がする。
そんな橋を関内から関外へ渡って、事務所に戻り、仕事に勤しむ師走の昼下がり。