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    雨のち晴れ

    雨のち晴れ
    アメノチハレ

    車の中で食べたダブルチーズバーガー

    日記を書き始めて最初の3.11なので記憶を記録しておこう。

    あの日私は自由が丘で働いていて住まいは横浜だった。地震の時は事務所に1人で居て恐怖で飛び出した。お向かいの優しいおじいちゃんと2人事務所のすぐ横の交差点に立ち尽くし、なんとなく支え合いながら(あくまで他人感)電柱の揺れをただ見ていることしかできなかった。

    間も無くしてスタッフがぞろぞろと帰ってきて安堵し、今日は解散!となったが当然電車は動かない。先輩がどうせ時間かかるから横浜経由で登戸も経由して武蔵小金井に帰るよーと言ってくれて甘える。

    車中やっと繋がったニュース、津波の映像に言葉も出ない。

    その時やっと事の重大さに気づいて秋田にいる親に連絡した。秋田は東京と同じくらい揺れていて、既に停電となっていた。日本海側なので津波は大丈夫だったけれど、3月のとても寒い時に停電は堪える。とにかく無事で良かった、と母親とお互いの安全を確認した時に涙が出た。

    当然車の渋滞もひどく、途中マクドナルドがあったので夜食を手配しに走る。マクドナルドもトイレ開放したり歩いて帰る人たちの休憩所となりめちゃくちゃ混んでいたので、注文から店を出るまで30分以上はかっかったが、先輩の車の位置は変わっていなかった。

    16時頃自由が丘を出て横浜の家に着いたのは日が変わって2時くらいだった。部屋の中も色々落ちては荒れていたが、当時使っていたeMacはあんなに大きくて重いのが落下していてそして壊れた。あのmac懐かしいなぁ。

    翌日以降は余震に怯えながらしばらくは自宅勤務になって、テレビで見た地震時の横浜ダイエーはこの世のものと思えない動きをしていた。津波のあった地域に直接的な知り合いはいなかったが、秋田から岩手・宮城に専門や大学に行く同級生は多いので、友達の友達、先輩のご実家など間接的に心配になる人が多かった。

    あの日から地震が本当に嫌いだ。このまま大きく揺れ始めるのではないかと毎回ひやひやさせられて本当に疲れる。

    あの日から4.5年は関東に住んでいたけれど、地震が起きるたびに彼氏とかがいても家族は近くにいない事で、結局一人だと思っては更なる恐怖を感じていた。

    秋田に帰ることをリアルに考え始めたのもこの地震がきっかけだ。わたしはこの町で一人で死にたくないと思ったのも本当だ。そして今職住近接を選んでいる。

     

    この地震の経験というか宮城の人たちの頑張りとその時の災害ボランティアの方たちの活躍を目にして、助け合うということに遠慮しないことも学んだ。

    秋田はしょしがりのえふりこぎ(恥ずかしがりの見栄っ張り)という県民性だから、手を差し伸べてくれる人を遠慮したり断ったりする人も多い。

    でも3.11のことを忘れずに誰かが発信し続けてくれているから、水害のあった時に手を差し伸べてくれた人に甘えることができた。そして私も誰かにちゃんと手を差し伸べれる人でありたい。

    15年経ってもあの日のことを鮮明に覚えているもんだな。

    またどこかで同じようなことが起こるかもしれない。いつだって気を張ってはいられないけれど、備えは大事。

     

    耳ゆみさんの《感性の確認》の話、いいなぁ。

    写真は2023年の3.11。サウナの水風呂に古い味噌桶を設置したところだった。

    書き手

    ツツイユカ

    ツツイユカ

    秋田県秋田市/42歳

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