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    エフェメラ!

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    エフェメラ!

    「私はこの「昭和一〇〇年」という設定自体に強い違和感を覚える。いうまでもなく、一九二六年が大正一五年であり昭和元年である。記念日は周年で数えるのが普通だから、来年の二〇二六年が「昭和一〇〇年」のはずである。」吉田裕

    アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。

     

     


     

    「私はこの「昭和一〇〇年」という設定自体に強い違和感を覚える。いうまでもなく、一九二六年が大正一五年であり昭和元年である。記念日は周年で数えるのが普通だから、来年の二〇二六年が「昭和一〇〇年」のはずである。」
    吉田裕

     


     

     

    新刊書店でアルバイトをしている。出勤は週1〜2度程度だけど、シフトは8時間なので、一度店に出ればそれなりに本の世界に浸ることになる。ここ数ヶ月の一大トピックは「戦後80年・昭和100年」で、関連する書籍や雑誌が毎日のように刊行されている(と、同時に最近だと、ラフカディオ・カーン、つまり小泉八雲の関連本が次々に出ている。秋からはじまる、彼の妻・セツをモデルにした朝ドラ『ばけばけ』に向けた前哨戦なのだろう)。

    「戦後80年・昭和100年」に関連して、岩波書店の雑誌『世界』の最新号は「戦後80年特集 民主主義の興亡」。このなかの一文「『昭和一〇〇年』の政治的文脈」から、今回引用した。

    これを読んで、バカ丸出しにつき大変お恥ずかしいのだけど、「そうか、昭和は1926年に始まったのか」と気がついた。というのも(まったく意味不明なのだけど)、1945年=昭和20年なので昭和は1925年に始まったのだとばかり思っていた。つまり、単純に算数ができていなかった(というか、「元年」の概念が抜け落ちていた、というほうが適当か)。ともかく、膝を打ってしまった。

    ところで、ではどうして今年、2025年が「昭和100年」になるのか? その「政治的文脈」は、ぜひ本誌に当たってみてください(僕は、当然、『世界』で仕事をしていません)。(007)

     

     

    エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。

    書き手

    迎亮太

    迎亮太

    東京都国立市/32歳

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