「多摩地区のライジングスター」Sさん
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
エフェメラ!
エフェメラ!
2025年9月10日
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。
「【新連載続々】「「雑」の風景」平山周吉」
「群像 公式サイト」
いわゆる五大文芸誌の発売日は、だいたい毎月7日。そのタイミングになると、僕のツイッターのタイムラインは「文芸誌の面白記事」を紹介するツイートが流れてくる。今月なら『新潮』に掲載されている町屋良平の批評「小説の死後──(にも書かれる散文のために)──保坂和志、私、青木淳悟」が気になった。そこで、アルバイト先の書店へ。
(当たり前だけど)『新潮』に、確かに載っている。でも。他に読みたいページがない。この町屋良平の批評「小説の死後」シリーズは、のちに書肆侃侃房で書籍化することが決まっている。だから、今は気持ちを抑えて、読まないことにしよう。
他の文芸誌をパラパラ見て、目に留まったのが『群像』。新連載が4つ、同時にスタートしている。なかでも気になるのが平山周吉の「「雑」の風景」。6ページほどなのでざっと読んでみる。どうやら「雑」は「雑誌/雑文」を指していて、この初回も2つの「雑誌/雑文」について書かれていた。そして、書いてあって思い出したのだけれど、この著者・平山周吉は、坪内祐三の『文学を探せ』(講談社文芸文庫)の解説を書いている人だった。なるほど、気になったわけだ(さらに、この連載の担当編集者Hさんは、入社3年目で、この度初めて『文学を探せ』を読んだという。そのHさんも気になる)。
今回のエフェメラは『群像』のウェブのテキスト。つまり、本誌は買わなかった。やはりこの平山周吉の文章と、同じく新連載の塩田武士「メディア・スケッチブック」以外に気になるものがなかったので。
以前ちらっと書いたけれど、やはり、3つは気になるものがないと買う気にはならない。単なる刷り込みに過ぎないけれど、雑誌作りに携わる者として、想定する読者でありたいと思うから。(040)
エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。