「私はこの「昭和一〇〇年」という設定自体に強い違和感を覚える。いうまでもなく、一九二六年が大正一五年であり昭和元年である。記念日は周年で数えるのが普通だから、来年の二〇二六年が「昭和一〇〇年」のはずである。」吉田裕
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...

エフェメラ!
エフェメラ!
2025年11月18日
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。
「明社オアシス運動」
NPO法人明るい社会づくり運動の会
くまちゃん・ほしばの二人展が終了。ほしばは毎日のように(そして今も)縫ったりなんなりしているけれど、やはり自宅でみるそれと、森山邸に飾られたそれでは佇まいが違っていた。なんというか、もうひとつ凛と、シャキッと、しているような感じで。ほしばもくまちゃんも楽しそうだったのと同じように、二人の制作物もまた、その場で気持ちよく過ごしていたんじゃなかろうか。
そして、僕もその一人。あの空間で、つまり、実用性から距離をおいた(そういう意味ではイシュミナ的な)ものものに囲まれて過ごす時間は、ありそうでない、得難いものだった。
その森山邸は蒲田某所の住宅密集地にあって、一歩外に出れば、さながら都心の田舎というような風景が広がっている。家の目の前には年季の入った掲示板があって、そこに貼られた標語はすっかり色褪せていた。曰く……
オ「おはよう」を明るく:挨拶
ア「ありがとう」を心から:感謝
シ「親切」をみんなに:親切
ス「すみません」を素直に:謙虚
「シ」だけ「親切」被りしてしまい、うまくいってないけれど、これもご愛嬌。来年もやろうという森山邸での展示が今から楽しみだ。(75)
エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...
アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶと...