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    「両者を一貫してとらえることと、その違いをつかむことの両方が必要なのでしょう」渡辺京二『近代の呪い』

    アルキメデスは浴槽から溢れる水を見て「ユリイカ!」と叫んだ。私たちは日々見聞きする言葉に触れては「エフェメラ!」と叫ぶともなしに記録しようと思う。言葉は儚いものであるからこそ、今このときを確実に残してくれるから。

     

     


     

    「両者を一貫してとらえることと、その違いをつかむことの両方が必要なのでしょう」
    渡辺京二『近代の呪い』

     


     

     

    疲れました。

    ーお疲れさま。

    この前言われた、今朝の打ち合わせ、すっかり忘れててすっぽかしちゃったよ。結局夜やったんだけど。

    ー情けない。

    最近、Googleカレンダーの設定を変えたのよ。なんでもかんでも前日夕方にリマインドしてくるから嫌になって、その機能をオフにしたの。実は助けられてたのかなあ。

    ーそうかもね。ところで今日はどんな話を?

    いや、まあ特にしたい話があるというわけではないんだけど。定期的に書こうと思ったら、とりあえず書き始めるのが大事かなって。

    ー書いてないこと気にしてたんだ(笑)

    まあねえ。だってアーなんて、今日アップして、しかも下書きにもう1本あるっていうんだよ。

    ーそれは日記なのか?

    いいんだよ、自由にやれば。

    ー話が終わった。

    そうだねえ、もうちょっと話そう。そういえば、最近、渡辺京二の『近代の呪い』っていう本を読んでて。「近代ってなんだったのか?」ってことなんだけど。

    この辺と繋がってきそうな

    まさにそうで。その辺の話を読みたいな、なんかないかなと増田書店の本棚を改めて眺めてさ。意外とないんだよね、この手の本って。

    ーそうですか。

    なんていうんだろうな、近代って微妙な時代なんだと思うんだよね。日本においては。明治時代から終戦までくらいの感じでしょ。例えばさ、戦後の本って多いんだよ。去年は戦後80年ってこともあっていろいろ本も出たし。

    ーうん。

    戦争絡みというところで言えば、日清・日露とビックトピックはあって、その辺は確かに本がある。あと大正デモクラシーあたりの本はあるかな。自然主義文学の本とかも。

    ーあるじゃない。

    知りたいのはさ、もっとカルチャーに寄ったことなんだよ。いわゆる西洋知がどっと流入して文明開花が起こる。その瞬間に忘れ去られていったものに興味があるのかな。

    ー漢籍とかね。

    この前の土曜日に、中学時代の友だちと先生とで飲んだんだよ。

    ーはあ。

    その友だちはさ、大学時代史学科にいたの。日本史を専攻してたのね。だから聞いたの。明治維新前後で、日本で漢文は読まれなくなったのかと。

    ーどんな飲み会だよ。

    彼はかなりの日本史好きなのよ。で、そしたらさ、まあそうだろうとは言うわけ。ただ、大事そうだなと思ったのは、史学科って講義のほとんどが漢文読解なんだってね。日本史において大切なことは大抵漢文で書き残されているから。

    ーなるほどね。漢文を読めないことは日本の伝統的なカルチャーの半分を知らないことと同じなわけだ。

    それが確認できたというだけだけど。

    ーそれで、その『近代の呪い』という本はどう?

    うん、面白いよ。まず近代の捉え方が違ってて。

    ーはい?

    西洋史的には近代はフランス革命が起点でしょ。1789年。明治維新の80年くらい前。でも、その西洋史観が変わりつつあると。近代のスタートは宗教改革にあったのでは? という話になっているらしい。とすると、まあざっくり1500年くらいがスタートで。でも、これもしっくりはこないというわけで、近代をふたつに分けてるんだって。宗教改革からフランス革命までをアーリー・モダン、フランス革命以降をモダン・プロパーと。

    ーはあ。

    でさ、これが日本の近世とまあまあ同じタイミングだよねって。

    ー江戸時代ね。100年くらいズレてるけど。

    そうそう。面白いのは、いわゆる近代的な知の枠組みは江戸時代にはあったんじゃないかっていう話があって。その辺のことを橋本治が本居宣長を通して書いているんだけど。

    ーややこしくなってきた。近代的な知の枠組みっていうのは、さしずめ西洋知のことだけど、本居宣長はそれを先取っていたと?

    んー、記憶がぼやっとしてるけど、なんかそんな感じだったよ。橋本治が書いているのは、『本居宣長』という本を書いた小林秀雄は自身の知のあり方の起源として本居宣長を見ていたんじゃないかという話で。

    ー人が多い。

    まあいいや。とりあえず、本居宣長・近代知発祥説としよう。で、この宣長さんは1700年代を生きた人なんだよね。調べると、1730年生まれで1801年に死んでる。

    ーフランス革命の時代に生きてるんだ。

    そうそう。アーリー・モダンとモダン・プロパーを架け橋的に生きてる。

    ーんで?

    いや、だからね、日本史における近世って概念は、わりとそのままアーリー・モダンとモダン・プロパーに分けられるよねって。

    ーんで?

    え、面白いなって(笑)

    ーなにがよ(笑)

    ちょっと思っちゃったのは、これまで明治維新を境にした漢籍の消失に注目していたのだけど、やっぱりもうちょっと遡ったほうがいいんじゃないかということで。

    ー日本の近代のはじまりが明治維新ではないっぽいから?

    そうそう。近代のはじまりを知るということは、今現在の知のあり方の始めを知るということで。詰まるところ今の自分について知ることだと思うの。

    ー自分が好きだねえ。

    あ、ついにエフェメラっぽいことを書きそびれているから、ひと言。

    ーはい。

    ずばり「両者を一貫してとらえることと、その違いをつかむことの両方が必要なのでしょう」。

    ー渡辺京二ですか。その心は?

    アーリー・モダンとモダン・プロパーの時代区分は有用らしいと書くわけだけど、でも、その中で生きてる人間のあり方は全然違うだろうとも言うわけ。そりゃそうだよね、知のあり方が違うわけだから。だからこそ、一貫して捉えつつ違いを掴むことが大事だと。なんかね、大人な態度だなと思うよ。同じだとか違うだとか、そういうことの先にいる。超然的な感じがするんだよね。

    (134)

     

     

    エフェメラ/「一日だけの、短命な」を意味するギリシャ語「ephemera」。転じて、チラシやポスターなど一時的な情報伝達のために作成される紙ものなどを指す。短命だからこそ、時代を映すとされ、収集の対象になっている。

    書き手

    迎亮太

    迎亮太

    東京都国立市/32歳

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