13歳の頃に出会った同級生たち
関東在住の中学の同級生が集まり同窓会があ...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2024年8月4日
昨日、流しそうめんをやる筈だったのだができなくなって…みたいな日記を書いたのだが、実は昨日のために流しそうめんキットをレンタルしていた。使わずキットは返却か。と思っていたのだが、それも勿体無いかあと、急遽ご近所さんに声をかける。すると皆様「いいじゃん、やろやろ!」と。
あれよあれよと5家族、子ども8名も集まってくれて、てんやわんやでそうめんを流した。男子は上流も上流箇所で我れ先にと箸を伸ばし、女子は最後網にたまったそうめんを優雅に食べていた。「男子下がって!」って何回叫んだか苦笑
ご近所さんがプールも出してくれて、べっしゃべしゃに水浴びまでしてフィニッシュ。友人ママが「なんか令和の夏とは思えない、あと目黒区とも」と言っていて笑ったけれど、こういう昔っぽいご近所付き合いができることに感謝している。
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話が飛んでしまうのだが、先日仕事関係の人に「かきぬまさんは将来どうなりたいと思ってますか」と聞かれるシーンがあった。結構大きな問いですぐに返事ができなかったのだが、仕事関係の方だったということもあり「社会課題が大きい業界にいると思うので、それらの解決のために貢献したい」といったような返事をしたところ「聞きたいのは、それを目指して、それができたとして、かきぬまさんはどうなれると思いますか?という一歩進んだところ」と。
うまく答えられないながらも「誰かのために」は自分の幸せと近いところにありそうな気持ちはあるのですが、と言ったようなことを答えた。
「ゴールを他者からの評価に委ねてしまうと苦しくなるよ」とも言われて「私は自分の何かを他者に委ねてしまっているのだろうか」と悩む気持ちが湧いた。これはもう少し自分の中で掘り下げて考えなければ答えが出ない、と思って、その日からずっとなんとなく心の奥底にモヤモヤと横たわっていた。
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で、話は戻って流しそうめんなんだけど。
単純に息子を含めて子どもたちが本当に楽しそうだった。長男に感想を聞いたら「あんなに速いと思ってなかった!箸ですくったら全部つかめると思っていたのに、スルッとすり抜けていった」と結構具体的に笑って感想を伝えてくれた。こういう季節に結びついた記憶って心のどこかに残っていくものじゃないかなと思う。そしてそういう記憶って思い返すと結構幸せなものだとも思う。
息子たちの幸せは紛れもなく私の幸せだ。流しそうめんで見れた息子たちの楽しそうな姿は紛れもなく私の幸せだったんじゃなかろうか。
それは息子たちに自分の幸せを委ねていることになるのだろうか。
仕事と育児はまた別物かもしれないけれど、どちらも私の人生である。私は今日幸せだった。
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なんだかまとまらない気持ち。変に小難しく考えすぎなのかな。そういう時期なのかな。毎日を書くとなると、こういう思考のプロセス段階も書くことになる。まとまっていない自分の気持ちも書く、これぞ日記なのかもしれない。書いたらまとまることも結構あるんだけれど、今日はまとまらなかった。
とりあえず、小難しいあれこれは一旦置いておいて、夏の思い出2024がひとつできたことに感謝!
8月、いよいよ夏も本格的。
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