¥288 片栗粉、超熟サンドイッチ用
夕飯作り途中で、片栗粉がないことに気がつ...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2024年8月11日
次男、起きてきた時はそれなりに元気そうな様子だったのだが、昼過ぎにまた38度台の発熱。ここにきてまだ発熱があることに明らかに動揺している自分がいた。
小児科での問診で必ず聞かれる事項に「飲んだり食べたりできてますか」「眠れてますか」といったようなことがあるが、どちらもそれなりにできている。元気そうではある。でも熱が出ている。本当に早く元気になってほしい、もはや祈るしかない気持ち。途中一回復調したタイミングもあったのだが2週間不調が続いている。
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午前中、何をするでもなく各々やりたいことをやる。私はソファでゴロゴロしながら本を読んだ。家にいるときは夫か私が音楽をかけることが多いのだが、今日は夫が先にスピーカーに繋げていた。夫は趣味でラテン系の音楽をかけることが多く「これいいね」と思う曲が度々流れるのだが、いつも「なんていうアーティスト?なんていう曲?」と確認しようと思っているうちに次の曲が流れ始める。結局毎回詳細を知ることなくいい感じの曲を聴き続けている形になっている。我が家においてグッドなラテンとの出会いは刹那的だ。
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そんなBGMに混じって、次男の絵本朗読の声が聞こえてきた。私の隣で本を読み始めたのだ。まだあまり「黙読」をする年齢ではないので、辿々しい読みっぷりが可愛い。耳を傾けているとこの言葉は知らないんだな、とかがわかる。
「こむぎこ、いち、かっぷ。おさとう、しゃ、しゃう、しょ、しゃうしゃう?しゃうしょう…」
『少々(しょうしょう)だね』
「おさとう、しょう、しょう…”しょうしょう”ってなに?」
『ほんの少し、ってことだよ』
次男はまた読み進める。
読んでいるのは「こぶたくん」というこぶたが擬人化されたある一家の日常って感じの本。特に大きな起承転結があるわけではないのだが、長男が小さい頃も一時期この本にハマっていた。なんだろう、不思議な魅力がある本だ。
絵本を読んでいると物語には必ず起承転結がなくても良いと赦される気持ちになることがある。起承転結がしっかりとしたストーリーにはのめりこむような面白さがある。でも日常に転がっている出来事に目を向けたら、そもそもそんなに美しくはじまりと終わりがあることばかりじゃない。そういうものは輪郭が曖昧で、効率重視を叫ばれる現代においては嫌われるのかも。でも、輪郭が曖昧なものにある余白は人生において大切だと思っているし、息子達にはそれを楽しめるようになってほしいと願う。そしてそれは大人である私にも言える。
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「こぶたくん」は短編集で、次男の朗読はひとつめの話の終わりに差し掛かった。
「ぼく、いま しあわせ」とこぶたくん。
「あら、どうして?」とかあさん
「かあさんが そばに いてくれるんだもの。」
息子たちも私がそばにいて、幸せを感じてくれることがありますように。
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