やわらかく包み込むように
娘は、言いづらいことがあると「ギューして...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2024年8月26日
月曜日。
長男は久々のランドセルを背負って「おっもー」と言いながらも元気に「いってきます」と出ていった。
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夏休みの課題、最後まで残っていたのが自由研究。最終的に今まで習い事の習字で書き溜めてきた毛筆の作品をアルバムにまとめ、それぞれの字を書くにあたり先生が教えてくれたポイントや、自分が頑張って書いた箇所などを書き込むというまとめ学習を行なった(写真は異常にカラフルな文字で表紙を描いているところ)
当初本人は壮大な調べ学習に取り組むつもりでいたようなのだが、全然着手する様子が見られなかった。8月も中旬を過ぎた頃、最終的に「ママが客観的に見て思うに、これは間に合わないと思うよ」と伝え、調べ学習は断念。
スケジュールというものは管理しないと間に合わないことがあると知ってくれたとしたら、もうそれだけで自由研究の意味はあったのでは?笑
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しかし、切り替えた内容ではあったが、これはこれでとても良かったのではないかと思った。
習い始めの頃の一画のひらがな(たとえば「く」とか「つ」とか)は相当昔に習った筈なのだが、息子は「先生はここをこうやって書くと良いと言っていた」などと割と鮮明に覚えており感心した。そしてもはや習字を習ったことのない私にはわからない「筆先の向き」だったり「筆の流れ」だったり、そのような筆独特の有り様に意識を持つことも教えてくれた。
また、「1画目と2画目のバランスを取るのがポイントだった」などと説明するのを聞いて、そうかなるほど美しい文字には形の見事さが宿るのだな、と改めて納得。意味を伝える単なるツールとして文字を捉えているのではなくて、それ以上のものを文字に宿すのが「書道」なのかもと気づかせてもらった気がする。
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色々と私に説明する息子と対峙して【自分が知らない知識を息子が知っている】ということに新鮮さを感じていた。それは不思議な感情だった。誇らしさ、みたいなものとでも言おうか。
今まで当たり前に私が教えるばかりだったけれど、ここからは教え教えられの関係になっていくのか。それって・・・それって・・・・なんて楽しみなことなんだろう!!!夏休みの終わりにものすごい楽しみを知ってしまった。
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