年長者に実年齢より上に見られるのは嬉しい
月曜、早めに出社。あっという間にS君が出...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2024年9月18日
先日、田畠さんが書いていたこの日記が本当に刺さった。
読んでいて特にこの部分に深く同調した
怒りを表明したところで、問題が解決するとは思ってないし、喜怒哀楽のなかで怒がいちばんメリットが見えない。「私は怒っている」と表明しないと伝わらないことはあるだろうが、その怒りすらも自覚したその瞬間からどれだけ持続するかわからない。怒る瞬間にすらそんなこと思ってるから結果的に、客観的に見て「怒ってない」ということになりがち。(実のところ瞬間的にかなり怒ってはいる)
私も客観的に見ると「怒ってない」ということになりがちの人間だ。子どもができてからは流石に「子の教育」という意味で怒ることも増えたのだが、その様子を見た友人に「怒っているのをはじめて見た」と言われた。しかし私も田畠さんと同様に(実のところ瞬間的にかなり怒ってはいる)のだ。
今日私も久々にとても頭に来ることがあった。
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具体的に書いたところで(自分含めて)誰も気持ち良くないかと思うので、詳細は省略するが…簡単に言えば「リスペクトのないシーンに出くわして腹を立てた」という話。
人と人とのやりとりにおいて、私が一番大切にすべきと考えることは《相手に対する尊重と敬意》だと思う。これは相手が年下であるとか、上司なのか部下なのかとか、そういったものはひとつも関係ない。
例えばだけど、相手が子どもであったら敬意に値するものがないと言えるだろうか。答えはノーだ。子どもには大人が失った素直さがある、純粋さがある。この部分に大人である私は敬意を持つべきだと思っている。極端に言えば「自分ではない」という事実それ自体が、もはやリスペクトすべき対象になり得る。
なので逆にいうと、そういった尊重や敬意が感じられない状況に出くわすと、私は怒りを感じる。
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で、話を今日のことに戻す。日中仕事をする中で「それはちょっとリスペクトがないなー」という感情を抱くシーンがあったのだ。それは自分の中からわかりやすく怒りの感情を引っ張り出してきた。
しかし私は怒った時いつも「反面教師にしよう」と思って自分の怒りを収める。こんな人になってはならないという例を提示してくれてありがとう、おかげで私は「自分がなりたい人物像」の解像度を上げられました。と皮肉っぽく思っているうちにいつの間にか怒りはどこかへいっている。
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