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    かきぬまめがね@東京

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    カキヌマメガネアットトーキョー

    長者町の思い出

    田畠さんの今日の日記「横浜の景色(リアル)」を読んで、記憶が一気に蘇った。

    「関内」の地名が私を学生時代に引き戻す。大学進学とともに上京し、生まれて初めてアルバイトをしたのが関内だった。今思うと、関内しかも歓楽街ど真ん中の場所で生まれて初めてのアルバイト。なかなかに濃ゆい記憶だなと思う笑

    なぜそこで働き始めたのかというと、地元にいる頃からクレイジーケンバンドというバンドが大好きで、彼らを輩出したライブハウスで働きたい!と願ってのことだった。そのライブハウスが関内という”雑居ビルの宇宙ステーション(©クレイジーケンバンド)”にあった。

    関内、関内と書いたは良いものの、調べたら行政上の地名には存在しないのだそうな。へえ〜。ちなみに私が働いていた場所の住所は「長者町」で、かなりのディープスポットだったと思う。バイト先はそんな長者町で40年続く老舗ライブハウスで、ドキュメンタリー映画にもなった。

    80歳をすぎたマスターは今なお現役。マスターの存在は思い返せば田舎から上京して初めて出会う「社会の厳しさ」そのものだったようにも思う笑 私のような下っ端が話しかけても最初は返事すらしてもらえなかった。要領が悪くて使えないアルバイトだった私はいつも怒られたが、ある日真面目な姿勢だけは買ってくれたのか、酔っ払って「真面目でいい子が入ってくれた」と声をかけてくれたことを覚えている(そのまま一緒に踊らされた記憶も笑)

    お酒と食事と共に音楽を楽しむスタイルのお店だったので、私は食事を運んだりオーダーを取ったりする仕事だった。ボトルキープしている常連さんもたくさんいて、グラスのお酒が減っているのを見つけたら作って回った。ウイスキーやら焼酎やらの水割りなんて飲んだことがなかったので、お酒の比率がよくわかっておらず、「お姉さん、濃いよ!」と突っ込まれたりした。でもお酒が濃くても笑って許された。

    お酒の種類もつまみの種類も、ここで知ったものがたくさんあった。

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    書きながら思い出したけれど大学4年でなかなか就職が決まらなかった頃、常連さんで社長をされている方がいて、うちで雇おうかと言ってくれたりもしたんだった。辞退させて頂いたけれど、すごくありがたかった。そういう場所だった。

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    好きだったクレイジーケンバンドはその頃にはある程度の知名度を誇っており、月に一度のライブの日は満員御礼ぎゅーぎゅーで超忙しかった。でも、開店準備をしながらバンドがリハーサルをするのを見ることができて、働かないと見られない景色に感激していた。私の青春の1ページ。

    (写真はスマホの中に唯一入っていたバイト先の壁画の写真。おそらく社会人になってから最後にヘルプに行った時に撮ったもの。日付は2014年)

    「長者町ブルース」クレイジーケンバンド

    長者町 雑居ビルの宇宙ステーション

    あの女は月へと飛んでいった

    長者町  ダーク・サイド・ヨコハマ

    地獄にいちばん近いヘブン

    (185)

    書き手

    かきぬまあやの

    かきぬまあやの

    東京都目黒区/37歳

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