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    かきぬまめがね@東京

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    カキヌマメガネアットトーキョー

    受容されるべき存在たち

    サイコさんの日記を読んで、思わず「あっ」と声が出た。引用されていた記事を、まさに今朝私も読んでいたからだ(しかも寝起きの布団の中で、というシチュエーションまで同じ笑)

    どんな記事かっていう紹介はサイコさんがうまく引用してくれているのでそちらをぜひ読んでいただきたいのだが、やはり私もこの部分はどうしても引用したい。

    誰の目からも明らかな「差」を見せること、不快な感情を引き起こす「現実」に触れることが「可哀想だ」という意見を持つ人もいるかもしれません。しかし、それは子どもを弱い存在と考えすぎです。子どもたちは確かな支えがあれば、自分の現実に向き合い、それを受け容れていく力を備えているのです。

    運動会で足の遅さを「見えない化」する配慮は子供のためにならない…「競争の場が減りすぎた」日本の大問題

    長男の小学校の運動会は春にあったのだが、まさしく「足が遅い子」である息子が、自分の現実に向き合って受け容れていく瞬間を見た気がした。そう、子どもは時に強い。ただしそれは大人がしっかりと受容するという条件下において。だ。

    自分自身も「足が遅い子」だった。今でもそれを自覚した日のことを鮮明に覚えている。あれは小学校に入ってまもなくの頃だったか。50m走かなんかのタイム計測で、周りの子より桁ひとつ違う?みたいなレベルで遅かったのだ。「あれ、私ってもしかして足が遅いんだ」と知った。しかし私の子ども時代は幸せなことに受容されていたんだろう。「わたしは運動できないタイプってことか!」とあっけらかんとしていた。

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    私の母は子どもに歌やピアノを教える音楽教室を運営している。もう還暦過ぎたのだが、未だ現役だ(いつまでやるのやら!)何十年も前からずっと子どもを見続けている母がいつだったか言っていたことがある。

    「最近の子どもは『みんなと違う』ということに対し、不寛容に感じる」

    これだけ多様性などと叫ばれているにも関わらず、どこか不寛容な印象を与える子どもたち。それはきっと行き過ぎた配慮で「差」を見せずにいるからなのかもしれない。そうかと思うと、今度は変にものすごくカテゴライズしようとする部分もあったりして、緩やかな差異を分断しているような気もする。

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    こういうことに正解なんてないんだろう。

    でも、正解がないながらに私は私が正しいと信じたやり方で息子たちと生きていくしかないのだ。今日も模索しながら息子たちとの日々は続く。

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    書き手

    かきぬまあやの

    かきぬまあやの

    東京都目黒区/37歳

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