メロン、フィッシュマンズ、PE’Z、長引く会議と日記本
義理の実家からメロンが届く。いつもオレンジのと緑のがセットになったやつを送ってくれる。「お義母さんに写真送るから」と言っ...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2024年10月24日
ひとつ歳を取りました。
日記の最後にもある署名の横「東京都目黒区/36歳」を「東京都目黒区/37歳」に変更する。
友人、同僚、母親から有難いことに「おめでとう」のメッセージを頂いた以外、なんてことはない普通の一日。母からのメッセージには「今日はおばあちゃんとケーキを食べます」と書いてあったので「主役不在なのに!笑」と返信を打つ。が、送信ボタンを押す手を少しだけ止めて「主役不在なのに!笑 でも今日は37年前に母親になった記念日でもあると思いますので、美味しいケーキを食べてください」と追記してからボタンを押す。年齢を重ねるにつれて、親への感謝を伝える恥じらいなんてものは、少しずつ薄くなるのかもしれない。でもまだ少し恥ずかしさ残る文面、これがアラフォーの限界。苦笑
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仕事を滞りなく終え、帰り道にケーキ屋の前を通る。買おうか買うまいか、自分の誕生日に自分でケーキを買うってどうよ。などと思案する。このお店のショートケーキが大好きなので、いちごのショートケーキが残っているのが見えたら買おうと決めてウィンドウを覗くと「おめでとう!」とばかりに律儀に整列しているいちごショートが目に入った。
ケーキの箱を抱えて帰宅。
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これは幸せな誕生日になるぞ〜なんて意気揚々と帰ったのだが、そうはいかないのが日常であり、生活である。
こんな日に限って長男と数ヶ月に1回あるかないかの大喧嘩勃発。内容は割愛するがきっかけはしょうもないことではあった。しかし私の中でどうしても許せない部分があり、泣いている長男に対して更に叱責の言葉をぶつけてしまう。ああ、こんな母になりたくて37年前に産まれたんだっけ?と、泣きたい気持ちになる。
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この気持ちであのピカピカに光り輝くショートケーキを食べられるのだろうか、って思う。それでも息子たちとケーキを食べない選択肢はない。私たちは家族だから、共に食卓を囲むし、今日中に食べるべきケーキは3つもある。
この「仕方なさ」がまさに家族だなと思う。誕生日に喧嘩する仕方なさ。喧嘩してもケーキを食べる仕方なさ。明日も家族であるという仕方なさ。そして、言うこと聞かなくて喧嘩しても息子が大好きであるという仕方なさ。
もうやめた、ってできない、抗うことのできない愛があるのが家族。37歳の抱負でも書いて、意識高くかっちょいいバースデー日記を書く筈が、今日も今日とてどうにか生きている記録になってしまった。
今日も誰もが生きている。
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