母のてんぷら
昨日あまりにも眠くて眠くて日記を書いたはいいが推敲してアップする、というところまで辿り着けずにソファの上で落ちてしまった...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年8月15日
8月15日、終戦記念日ということで朝のラジオではそれにまつわる特集が組まれている。8時15分過ぎには原爆体験者の方の手記が朗読された。「身体が真っ黒になり、助けてください、水を一杯ください、と悲痛な叫びをあげる人達。身体を冷やしたいと最後の力を振り絞って入水し、息絶える人で川はいっぱいで…」というあたりであまりのつらさにradikoのプレイボタンを止めてしまった。もうそろそろ出発時間であったということもあるんだけれど、これ以上聴き続けたら私は今日一日を普通に過ごすことができなくなってしまいそうだった。激しく動揺しているのを感じる。心の中で「ごめんなさい、ごめんなさい」と呟いてスマホをカバンにしまう。誰に対しての謝罪なのだろうか。そこで亡くなった方々、手記を残した方、全ての経験者のみなさまに対する気持ちだと思う。最後まで直視(今日の場合は”聴く”だけど)できなかったことに対する申し訳なさ。そこから逃げているつもりはないのだけれど、あまりの惨状は想像するだけで調子を崩してしまいそうで。まだまだ自分は弱いんだなと思う、情けないなと思う。ちっぽけな私は平和を祈る。
私は今日通常通り仕事であるのだが、お盆休みの実家の母が応援に来てくれている。息子たちが新潟に行く選択肢もあったんだけれど、本人たちに聞いたところ「久しぶりに東京に来て欲しい!」とのことで。
ずっと家にいるのは間がもたないだろうと思い、チケットを取っておいたチームラボ@麻布台ヒルズに行ってもらった。楽しかったようで何より。帰宅して見せてもらった母が撮った息子たちの写真、私が撮ったものとはまた違った視点でいい写真ばかりだったのでそれをアップしたいのだが「あとで送って!」と言った写真が待てど暮らせどやってこない笑 届いたら別日にアップしようと思う。代わりに「ガリガリ君、当たりが出た!」と喜ぶ次男を。でも、ピンボケで当たりの文字は見えない。
追伸
とこさんがアップされていた赤ちゃんの頃の写真、とこさんにそっくりでかわいすぎる!書くことで(または書こうとすることで)消化されるものがあるの、よくわかります。ダメージだったりショックだったり、それを受けた自分の気持ちを蔑ろにせず、一旦見つめて書こうとする。これは自分を大切にすることなんだって最近思っています。
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