日曜の記録
午前中は我が家でテレビの撮影という滅多とない出来事があった。仕事を通じての依頼だったが、息子たちがドキドキしている姿を見...
かきぬまめがね@東京
カキヌマメガネアットトーキョー
2025年8月25日
とこさんの日記、朝読んで、夜も読んだ。きっと告げるまでにたくさんの思いが駆け巡っただろうと思うと、ここに至ったとこさんを心から尊敬する。
「母」「告げる」でひとつ書こうと思ったことがある。一昨日の日記でしましまさんがアップしていた写真を眺めながら「日記にかくこと、かかないこと」について考えていたけれど、今までこの日のことは私にとって「書かないこと」に分類されていた。だけど、今日はじめて「書けるかもしれない」と思った。そう思ったということは、私はどこかでこのことを書いておきたかったのかもしれない。
5,6歳頃の母との思い出。
小さい頃の思い出はいろいろあるけれど、その中で忘れられない光景がひとつある。
私は母と一緒にお風呂に入り、ふたりで湯船に浸かっていた。細かい言い回しはあまり思い出せないのだが、母は私に「話したいことがあるんだけどね」と切り出し、「あなたには父がいない」ということを伝えた。母は私が産まれてすぐに離婚しており、私は(物心ついてから)父に会ったことがない。私の人生の中に一度も「父」なる人物の存在は登場していない。
母は私に寂しいか尋ね、私は正直に「いたことがないから、わからないよ。寂しくはないよ」みたいな返答をした気がする。
なぜこんなにこのシーンのことを鮮明に覚えているのか。私は今日とこさんの日記を読み、はじめて少し母側の心理に触れたことで、はっきりとその理由を理解した。母が覚悟を決めて話したから、私はあの日のことを忘れられないのだ。そして母の覚悟を感じたから、私は子どもながらにぼんやりと「このことで、母のことを絶対悲しませたりなんかしない」と誓った(幼かったので、ここまではっきりと自分の気持ちを明文化できていなかったけれど)
実際に、産まれてから今まで「お父さんがいたら」なんて思ったことは、一瞬たりともなかったことも書いておきたい。母に、祖父母に、友に、もしかしたら名もなき誰かにも、大きな愛をもらいながら生きてきたことを幸せに自覚している。
今自分も母になって、自分の子どもに何かを告げる勇気がどれほどのものか想像できるようになった。
とこさん、自分の母、そして告げる全ての母たちに、私は尊敬の気持ちを送りたい。
追伸
のちの野良さんの写真、ウォンカーウァイの「天使の涙」最後のシーンみたい!
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