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    風早草子

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    「好き」の外へ、手を伸ばす 百年の孤独

    焼酎じゃなくて本です。

    文庫本が出るのが話題なのか?最近トレンドに上がってくる「百年の孤独」という小説。実は単行本が本棚にある。なぜかというと・・・

    いつも自分が好きなもの、興味あるもの、分かっているものばかり見ていると、つまらない人間になってしまいそうな気がする。年をとると何かと面倒になるみたいだし。マンネリで保守的なオッさんになるのは、やだなと思うので、成長とか、変化とか、進歩は意識して生きたい。というわけで、時々、気まぐれでも、自分が全く興味がないものにも手を出すことを心がけている。なかなかできないのだけど。これはそんな感じで買った本。記録を調べると7年前だ。

    タイプとしては自分は、興味あることを深掘りするのが好きな人間だ。そして興味がないことへの関心はとても薄い。そもそも子どもの頃から自他共に認める「変わり者」と認定されてきた。(野鳥が大好きで週末は一人で観察に行ってます、という子供は普通、学校に一人しかいないのでそれだけで変人の要件は十分だ)なので、どれだけ周りで流行していることでも自分の興味が湧かないと平気でスルー。友達の話題についていけなくなる、とか心配したこともない。

    しかし、仕事をするようになってからは、自分の興味以外に関心が薄い、というのは明らかにウィークポイントだった。ある意味、天地人、森羅万象すべてに向き合わなければならない仕事なので。興味を徹底的に深掘りできるのは大きな力になるのだけど、それ以前に世の中のことを知らなすぎるんじゃないか?というコンプレックス?

    自分の「好き」は居心地がいいし、安心感がある。本屋でも足は自然にそういう棚に向かうし、好きなジャンルの棚からは、これは面白そう!という本を的確に見つけられる。でも、いつもそればっかりでいいのか?という中二病的ツッコミが心の奥底にあり、時々「好き」とは違うものを買おうという衝動に駆られる。この「百年の孤独」もその一つ。
    本はそれなりに読むが、「文学」というくくりにほとんど興味がない。ましてや海外モノ。そのくらい興味ないものを読んでみると、何か発見はあるのだろうか?みたいな気持ちだったのかも。あるいは「百年の孤独」というタイトルが本棚にあるのが「シブいかも」と思ったか?(実際はさっき本棚で見つけたとき書店のカバーが付いたままだったが)

    もちろん完読してないが、意外と頑張って3分の一くらいまで読んだようだ。何か得られた感覚はないが、これを面白がる感性が自分にないことは確認できたと思う。やっぱり司馬遼太郎とか読む方が好きだな。何というか、読んでて情景がイメージできなくて楽しめなかったかな。

    でも、まだまだ世の中に知らない世界はたくさんある。その分、自分にもまだ「伸び代」があると信じているので、「好き」に安住せず、時々はその外へ、手は伸ばしていきたい。

    せっかく引っ張り出したので百年の孤独は少し部屋に転がしておこう。子どもが一人くらい手に取るかも。いや誰も読まないかな?

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/57歳

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