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    風早草子

    風早草子
    カザハヤソウシ

    忍び寄る不穏な影

    雨の火曜日。向かいが更地になり、引き続き前が空いている我が家。いつまでこの状態が続くのか?とか思いつつバスで出勤。

    本日は異動の内示日。全国の人事異動が一斉に発表され、全社的に皆それを見て一喜一憂、右往左往というあまり仕事にならない日。こっちはそれどころではないのだけど、ジタバタしても仕方がない。発令は一月後なのだが、それが我々には大問題で、まさに業務の佳境ど真ん中になる。本部の中心メンバーとかは、赴任延期などの措置を取るが、全国の関係者全てがこの業務のためにそういう措置は取らない。すなわち佳境のど真ん中で人が代わる。さて、それはどことどこだ?というのは知っておく必要があるので、あまり好きではないが、私も発表された内示リストを入念に見る。まあ想定していたことだが、代わるメンバー多過ぎ。(笑)それぞれうまく引き継いでくれることを願うしかないが、きっとそんなにうまくいかないから色々起きるだろう。心配し過ぎても仕方ないし、備えるにも限度がある。覚悟を固めておくしかない。

    今日は一つの訃報に接した。去年の秋の決戦に応援メンバーとしてフル参加してくれた後輩のプロデューサーが亡くなったという。私より7年くらい後輩だからまだ50歳くらいだろうか?私が10年選手の中堅として広島にいた時に、鳥取に初任でいたディレクターで、鳥取県西部地震というのが発生して私が乗り込んで緊急特番を制作した時に手下として色々仕事をしてもらった。阪神大震災と東日本大震災の間に起きたこの地震は、死者が出なかったため、他地域の人の記憶には薄いかもしれないが、被害は非常に大きく、被災者支援のターニングポイントになった日本の災害史の中では重要な地震だ。そして私の手がけた番組もそれに少なからぬ影響を及ぼしたと思っている。

    そんな仕事をかつて一緒にした関係もあるので、去年の秋のプロジェクトの応援メンバーで来た時も、会ったのは久しぶりだったが、懐かしがって熱心に働いてくれた。時々盛大に寝坊するなどやや破天荒だが憎めない良い奴で、「来年夏も参加しますからぜひ呼んでください!」と言っていたのだけど。年末に体調を崩して検査したところ、すでにステージ4だったらしい。合掌。

    私が最も頼りにしている普段山口で業務をしている先輩からも連絡。山口で面倒を見ているお母さんが圧迫骨折をされて、業務期間、山口を1ヶ月とか離れるのは難しいかも?という連絡。毎回、業務期間東京に出張していただいて、私の右腕として最も頼りにさせてもらっている先輩なので、私にとって最も痛いし厳しい。しかし、これもまた仕方ないし、無理強いはできない。「ご無理ないようにどうぞ」としか言いようがない。人を多くかき集めるプロジェクト、色々起きるのが常なのである。

    まあしかし、4年前は業務中にベテランディレクターがスタジオで倒れて死亡しているし、その時の統括は業務終了後、白血病を発症して結局回復せず退職しているし、副統括は持病が悪化して手術を経て人工透析になったし、死や病の影が濃い不穏なプロジェクトだ。直接的な原因だとは言わないが、古臭い非効率的なスキームでこの業務が長年行われてきたことにもその原因はあると思っている。そういうこともあり、私が過去の負の遺産を一掃すべくDXを進めてきたのだけど、不穏な影がまだ祓いきれていない。

    そしてここにきて「解散」というワードが弄ばれている、というのが現在の状況。不穏だ!

    書き手

    海秋紗

    海秋紗

    神奈川県葉山町/57歳

    ©30YEARS ARCADE