新しいシューズと
この週末も出来事山盛り。 芋掘りは日記に書いたな。妻の仕事を朝5時から手伝ったり、双子のチームが強豪にボコボコにやられる...
風早草子
カザハヤソウシ
2025年7月31日
朝7時台に走った時は、出足の早い海水浴が楽しく遊ぶ平和な海だったのだけど。
家に帰るとカムチャッカで地震の一報。M8.0、なかなか大地震で津波注意報が出た。我が家は海のすぐそばではなく、標高もややあるので町のハザードマップの危険地域には入っていない。まあ大丈夫だろうと出勤。ところがいつのまにかマグニチュードが8.7に変わり津波警報になっていた。8.7は十分巨大地震だ。津波の高さの予想は3メートルとなっている。まあでも我が家は場所的に、3メートルでも大丈夫な場所。とりあえず出勤する。テレビは津波一色になっており、各地の情報が入ってくるがまだ目立った被害はない。ロシアからは震源近くの津波の映像が入る。近い場所ではかなりの津波だ。ただ、日本はあくまで「津波警報」。これまでの経験上、「大津波警報」が出た場合、死者の出る甚大な被害は必至だ。何をおいても逃げる必要がある。だがただの津波警報では、潮位の変化はあるものの死者が出るような被害はまず起きない。これが注意報になると、潮位の変化すら、結局人の目ではわからないようなケースが多い印象。大津波警報と津波警報の間のギャップが非常に大きいため、報道等の扱いには何らかの差を付ける必要性を個人的には感じている。ただの津波警報のたびに、強い避難を促す強い放送をして、肩透かしや空振りを繰り返していると、またいつか必ず起きる大津波の際にも、バイアスを感じてしまうオオカミ少年を育みかねない。
とりあえず潮位の変化などは確実に来ているが、問題は警報を受けて止まっている京急や横須賀線だ。遠地の地震なので影響は長引きそうだが、私が帰る夕方まで解除されて復旧するだろうか?現状だと最寄りは金沢八景までしか電車で帰れない。
ただそれはさておき、今日は大森の実家の様子を日中仕事を抜けて見に行くことになっている。大森へ行く電車は動いている。6月に母がグループホームに入ってから普段は無人だ。時々水を流したり、風を入れる必要がある。郵便受けも確認する必要がある。
そもそもGHに入った母の様子も見に行かねばならないのだけど、こちらは施設、そして介護関係者からしばらく慣れるまでは、すぐに行かない方がいいと言われて、まだ私も兄も行っていない。施設からの連絡によると、食事作りを手伝うなど、それなりに馴染んで暮らしているらしい。ただそもそもが「騙し討ち」の形で入所させているので、私や兄が会いに行った時にどういう反応を示すのかは読めず、なかなか気が重い。なので、この後、兄と日程を合わせて行く方向。
母がいなくなった実家からは、兄や妻が色々運び出したため、冷蔵庫も空になっていて片付いている。水を流し、風を通した後、少し汚いトイレとシンク周りを掃除しておいた。
夕方になっても警報は解除されず、電車は金沢八景までしか通っていない。私は明日は出張。新横浜から新幹線だ。いっそ大森に泊まるか?とも思うが、家からCPAPは必ず持っていきたい。娘も大学に行っており、同じくらいの時間になりそうなので、金沢八景まで妻に迎えに来てもらう方向として帰りの電車に乗る。しかし、明日まで警報が長引くと、朝も金沢八景まで送ってもらわなければならないか?やはり出張荷物を持って今夜は大森に?などと考えていたが、幸い、警報が注意報に変わり、京急は運転再開。逗子葉山まで何とか電車で帰れた。ただJRの方は警報解除でもまだ明日の朝は横須賀線は運休ということ。鎌倉の人は大変だ。
考えてみると、葉山に来て12年目だが、津波警報は今回が初めて。海辺の町に住むにあたっては当然、津波のリスクは想定して覚悟もしている。子どもたちにも、津波の時、どこに逃げるかなどは小さい時から叩き込んである。逗子葉山鎌倉エリアは関東大震災の時にも津波被害が出ており、当然この先もそういうリスクはある。海辺の町に暮らす恩恵は日々感じながら暮らしているが、当然、その反面はある。それはわかっている。ただ、警報が出ると被害がなくても電車が止まって帰れなくなる、とかは言われてみればそうなのだけど、あまりそこまで意識はしていなかった。そういう意味では、勉強になったと思う。
そういえば、昨日何気なく入れた写真だったけど、ふかやまさんの前の仕事場?近くだったんですね。今の私の通勤コースです。あの日は写真右奥、昔フランフランが入っていたビルのお店でした。
神奈川県葉山町/57歳